昨日の続きですが、日記を書き始めて間もない
2005年12月18日以来の中山競馬場へ行ってきました。
記録をたどると、6年(正式には5年7カ月)も行ってなかったんですね。
午前中は昨日書いたように山万や佐倉城址などを訪れ、
午後になりましたが、京成の東中山到着。
以前は連絡していなかったバスがあったのはビックリ。
しかし、無料かと思えばしっかり210円も取られました。
東中山から歩くのもかったるいし、これはなかなかいい商売ですね。
で、バスに揺られて復旧した中山競馬場へ。
正門から入り、最初に寄ったターフィーショップで
冒頭写真のブエナビスタのクリームロール缶1000円購入。
お菓子は8個しか入っていなかったけど、ブエナビスタのパッケージに惹かれました。
中には小さいブエナビスタの布巾もついていました。
お昼は久々に『角庄』のうな重を食したかったのですが、
13時前にもう売切とは……やはり人気が高い競馬場グルメです。
仕方ないので豚バララーメン800円をすすり、パドックやレースなど撮影しましたが、
ほとんど睡眠とらずに午前中歩き回っていたため、
もう午後は疲労からリュックの重みをひしひしと感じ、眠気にも襲われました。
この日のメインは震災で中止になっていた4月の中山グランドジャンプ(J・GI)の代替。
久々にパドックで全頭撮影し、早めにゴール前に移動し、
障害の飛越の瞬間を撮ろうとしていました。
パドックやコース沿いフェンスなどにも、
結構、カメラ待機の方が多かったので、競馬もそれなりの盛り上がりをみせていました。
そして運命の中山GJ。数々の高いハードル(障害)を、
全馬が難なく飛越すると、場内からは拍手が沸き起こります。
そして全馬無事ここまでは飛び終わっていたのですが、
悲劇はゴール前の最後のさほど高くないハードルで起こりました。
ここはゴール前なので、たくさんのファンがカメラを構え、
その飛越の瞬間を捉えようと待ち構えています。
もちろんジャンプは数秒のことなので連写モードです。
軽快に逃げていた1番のメジロラフィキ号(左の馬)が障害を飛べなかったのでしょうか?
頭から落ちるように転倒し、そのままピクリとも動かなくなりました。
スタンドからは「立ってくれ!」と声援も起こりましたが、
レースよりもピクリとも動かないメジロの馬のほうに人が集まってきます。
このカメラを構えていた時は心不全か何かで亡くなったかと思ったのですが、
カメラが捉えた瞬間を見ると、首から落ちており、
第3頚椎骨折で即死だったようです。あとで馬運車で運ばれましたが、
安楽死処分されることなく、亡くなりました。
騎手の方は頚椎捻挫でしたが、命は無事だったようです。
12番のメルシーエイタイムもよくあの転倒に巻き込まれなかったものだと思います。
やはり競馬というのは命がけのスポーツであり、
馬や騎手も死と隣り合わせで闘っていることを痛感させられます。
このレースでは5番のスズカスペンサー号も4コーナーで故障発生し競走中止。
左第1指関節脱臼で予後不良となっています。
でも、競馬をやっている以上、可哀想でもこういう現場に直面することはあります。
先週もオープンで活躍したサクラミモザやイコピコが亡くなっているように、
障害でなく平地の競走でも時に事故は起こってしまうものなのです。
本当、馬の脚骨折を治療でき、助けることができればノーベル賞ものですが、
現在の医学では重度の骨折の場合、回復する見込みがないものとして、
予後不良と診断され、安楽死の処置がとられます。
これは過去の競走馬の例をみても、テンポイントやサクラスターオーなど、
闘病生活を送りながら亡くなり、生き永らえることはできませんでした。
我々競馬ファンができることといえば、
競馬場内にある馬頭観音に手を合わせて帰ることぐらいでしょうか。
とくに競走中に亡くなったメジロラフィキ号は、5月で解散したメジロ牧場の馬で、
なんとかこのレースで優勝したいという意気込みもあったでしょう。
最後に亡くなったメジロラフィキ号(1番)、スズカスペンサー号(5番)と
今回の優勝馬マイネルネオス号(8番)を掲げ、
このレースで亡くなった競走馬のご冥福を祈ると同時に、
頑張って優勝した馬と騎手を称えたいと思います。
≪備忘録≫
ランチは『香林園』のチャーシュー麺とチャーハンセットを食す。
普段は700円ですが、『香林園』では1周年記念で、
7月中はランチが100円引のキャンペーンを行っています。
他にも割引メニューもあるようで、『松屋』が牛めし240円セールを
やっているだけに頑張って欲しいものです。