1月ももう終わりで、当社制作の大河副読本『江〜三代将軍家光の母・崇源院』の
売れ行きが気がかりです。周囲では結構買ってもらえたのですが。
さて、『お江とゆかいな仲間たち』オープンニングは香合わせで、
ハッ、ハッ、ハクションって、あんたはハクション大お江ですか?
信長の馬揃えに招待され、京都の寺院で光秀と娘の玉に会う江。
まだ、9歳ですけど、すでに母より大きな江です。
そして馬揃えでは信長がわざわざ江の前でパフォーマンス。
夜は本能寺に招かれ、蘭奢待の香りを気に入る江。
まさにこの香を気に入るとは将軍御台への暗示なのでしょうか?
しかも信長の蘭奢待切り取りは天正2年(1574)ですが、まだ持っていたのですか?
ここで信長は「神は俺だ」と云い、江は「神にはなれない」と批判し、
信長への怒りをあらわにする江。「己の信じる道をゆけ」と言い放ちます。
武田家滅亡の宴で、光秀が「骨を折った甲斐があった」と云うと、
怒って光秀を折檻する信長。帰りに清洲城へ市と江を招きますが、
江は行かないと拒否。清洲では信長は「ウチに来い」とお市に云いますが、
なんとここで茶々は天皇の后、初は大名家(嗚呼やはり地味)に嫁がせ、
江は「しばらくわしの手元におく」という信長。
しかし、市は「人形ではない」と拒否するものの、
信長の天下泰平には犠牲がともなうことに理解を示します。
市が戻ってくると、江は後悔し、信長に誤りたいと云い出しますが、
すでに光秀が四国攻めの総大将を解任され、
中国攻めで秀吉の配下につけと命じる信長。
光秀の本能寺の変の原因は、このズタズタに引き裂かれたプライドなのでしょうか?
で、次回はとうとう本能寺の変。江の恋する信長と初の恋する力丸・坊丸が横死し、
二人とも涙にくれるのでしょうか?
あと桐野作人先生の『膏肓記』も併せてお読みください。
史跡紀行では京都市北区の大徳寺総見院と奈良市の東大寺正倉院が紹介されました。
残念ながら両者とも未訪なので、今回は奈良の高木先生からいただいた、
東大寺大仏殿の柱(鼻の穴)くぐりをする息子の悠人君をUPします。
『江〜三代将軍家光の母・崇源院』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、
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