下板橋の某まずいラーメン屋が閉店(12月25日)

25日の話になりますが、有馬記念前夜祭で久々に飲んだくれました。
本配送の関係で出足が遅れてしまいましたが、
14時前に浅草WINS前の『かづちゃん』に到着。
ハルちゃんONOさんの3人で酒と魚料理を最終レースまで満喫。
別の店に移る途中で池袋に店をもっていたSちゃんの店に寄り、ここで一杯。
3件目はカレイ煮付けやフグ料理、カキフライが美味かった『十味小野屋』へ。
ここでONOさんと別れて4件目はメトロで
新宿二丁目の『島の人』へ向かったのですが、
なんと前の店にリュックを忘れてしまうチョンボ
田原町から乗って稲荷町で気づいて慌てて折り返しました。
『島の人』はなんとなく場所を覚えていたので、
迷わず行けたのですが、店に着いたらハルちゃんがいない。
なんとかすぐ合流してもうひとつの店『島たぁーち』へ行きました。
ここは昔『はなきん寄席』でお世話になった三線女王の山城あけみさんと主人が営む店で、
2006年に行って以来、4年ぶりでしたが、
山城さんは沖縄に帰っているとのことで会えませんでした。
それにしても両方の店をのぞいたのですが、クリスマスだったからかどうかはわかりませんが、
客入りが少なかったのが気がかりです。やはり看板は山城さんですし。
5件目は2002年に一度行ったことのある『九州男』。
ここはえらく混んでいましたが、若い男性客が中心。
一曲歌って板橋の『平家』に行こうということになり、
新宿から埼京線で板橋へ。ところが『平家』はお休み。
仕方ないので2004年末以来行っていなかった下板橋の某まずいラーメン屋へ向かいました。
ところが、下板橋駅の通りから見てもネオンがついておらず、
「つぶれたんじゃないの?」とハルちゃんが言いましたが、
彼もあれから全然行っていなかったとのこと。
案の定、店の前に来てびっくり。店の看板もなく、
置いてあった自販機も撤去されて完全に閉店になっていました。
ということで6件目は駅前の焼き鳥屋へ行き、
7件目は板橋に戻って『美里』でお開きになったわけです。
後日、ネットを見るとまだ掲載されているのでおかしいなと思い、
電話をかけてみたらやはり「この電話番号は現在使われておりません」になっていました。
移転なら移転先の電話を知らせるはずだし、どう考えても倒産してしまったのでしょう。
書き込みを見ると2010年10月となっているので、ここまでは営業していたのでしょうか?
少々悪意に満ちたコメントではありましたが、酷い書かれようでした。

【想像を絶するまずさ】

醤油ラーメンは炒めたネギを出来上がりにぶっ掛けるスタイル
これだけだとうまそうと思うかもしれないが
まず油を何日も変えていない(1週間以上)ので酸化している
刻んだねぎは客の回転が悪すぎて(昼飯時でも1か0)冷凍やけして酷いにおい

チャーシューは中心部に火が通っていない&常温でカウンターに放置なので衛生面まで心配

冷凍やけの酷いにおいのネギ、酸化した上にぬるい油で揚げてあり
麺はあじがまったくしない、醤油のたれも分量を明らかに間違っていて
色がついてるお湯のんでるような感じで味が全くしない
自分で醤油をかけて食べてみたが、翌日すさまじい胃もたれ(油のせい

おにぎり食べ放題の部分だが
醤油皿に、ごはんべらで申し訳程度に三角に整えた米に塩を上からかけただけの物が
1個だけ乗っかってくる
「まだ食べれるなら作るけど?」と店主
ふざけるなと、作りおいてカウンターに並べとけ、海苔くらいまけ、あと握れ
絶対にお勧めできない店

(以上、食べログより抜粋)

この下板橋の某まずいラーメン屋にはいろいろな思い出があります。
僕が初めて行ったのは92年だったでしょうか。
当時は駅前に店があり、僕の視点でいう初代はおじいさんが営んでいました。
このときのラーメンは生涯5本の指に入る美味いラーメンで、
後味が残って何度も食べに行きたくなるラーメンでした。
ところがおじいさんはやはり体力面の限界もあったのか、
二代目に若い夫婦に譲って替わったのですが、
この二代目店主ははっきりいって愛想がなく、1カ月足らずで店を閉めてしまいました。
そして2カ月ぐらい休業が続き、今回の三代目店主になるわけです。93年のことです。
もう味は継承しておらず、初代と比して相当落ちてしまっていたわけですが、
この店主はまだこのときは前向きに客に味の感想を聞いたり、
「美味しいラーメンづくりをめざして頑張ります!」という姿勢がありました。
僕は94年6月に下板橋にあった会社を辞めましたが、
このあともちょくちょく顔を出したものです。
95年1月から池袋の会社にフリースタッフとして勤めることになり、
会社の人や友人も誘ってたびたびラーメンを食べに行きましたが、
その頃、店主が「4月で閉店する」と言い出しました。
このときは共同出資した方の逃亡もあって困難な時期でしたが、
常連客たちが店主を助けようと毎日通って金を落とし、
僕も池袋〜下板橋の定期券まで買って、毎晩のように通ったものです。
さらにバイトの若造をタクシーに乗せてまで連れていき、
毎回ごちそうしてやりました。今思えばバブリーな時期だったのでしょう。
花見や飲み会、晦日はここでみな新年を迎えるなど楽しく盛り上がったものです。
しかし、この店主は初心を忘れて次第に傲慢になり、酔っ払ってはクダを巻いたり、
客にからんで説教するので、僕を含む常連さんも離れて行きました。
そして常連客との交流であった花見や飲み会なども途中で止めてしまったのです。
常連はますます減り、場所も立ち退きがあって目立たない場所に移転しましたが、
もう、この頃にはほとんど行かないようになり、
いろいろなラーメンを食べ歩いているうちに舌も肥え、
とてもうまいラーメンとは感じられなくなりました。
そして2004年末はハルちゃんがいたので30・31日の両日行ったのですが、
30日の時点でガラガラなのに、晦日の客を見込んで大量注文し、
僕が年越しそばの差し入れを持っていった晦日は最後は僕ひとり。
で、結局、年越しそばも作らず、客が来ない八つ当たりに「持って帰れ!」という、
とんでもない失礼なことをしたので、二度と行かなくなりました。
その後、わずかばかり残っていた常連のハルちゃんすら離れていったのです。
それでも2010年まで維持したのは奇跡というべきでしょうか?
景気も時代も変わりますが、変わらなかったのは、
客をぞんざいに扱う酔っ払い店主のクダ巻き癖だけでした。
それでも久々にどこまでまずくなったのか食べてやろうと思って行ったのに閉店とは残念な話です。


JRAも13年連続売上減で、年末には以前インタビューした小林久晃騎手も引退しました。
当時、ご両親からお礼の品と手紙をいただいたときは本当に感激したものです。
本当にすばらしい家庭で育った小林久騎手でしたが、
やはり騎乗機会に恵まれないのは残念な話ですね。


時代はそれでも刻一刻と変わってゆくものなのです。


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