千葉佐那はそれでも幸せ?

7月3日付の記事で全国的に載ったようですね。福井新聞から転載します。


【竜馬の婚約者さなが結婚? 暗殺後、元鳥取藩士と】


 坂本竜馬の婚約者で生涯独身を貫いたとされる千葉さな(1838〜96年)が、
竜馬の暗殺後、元鳥取藩士と結婚していたとする明治時代の新聞記事が、
3日までに見つかった。

 発見した歴史研究家あさくらゆうさんは「記事はかなり正確」としている。
独身説が広く知られているが、記事は通説を覆すことになりそうだ。

 さなは「北辰一刀流」を開いた千葉周作の弟定吉の娘。
江戸の剣術修行で千葉一門に入門した竜馬は、さなと知り合い婚約したとされている。

 記事は明治期に横浜で創刊された毎日新聞(現在の毎日新聞とは無関係)が
1903(明治36)年8〜11月に連載した「千葉の名灸」。
さなが晩年に営 んだきゅう治院の来歴などを描く内容。
1873(明治6)年に横浜に移り住んださなが、
定吉が剣術師範役を務めていた鳥取藩の元藩士山口菊次郎から求婚され、
竜馬の七回忌も済んだことから受諾。

 定吉が「おまえの命はかつて竜馬の霊前にささげようとしたものではなかったのか」
と怒ってさなを切ろうとしたため、近くの商家が仲裁に入り、
翌年7月に結婚したものの10年たたず離縁、亡くなるまで再婚しなかった。


もし本当なら歴史の定説を覆すニュースですが、
ことの真偽はともかく、龍馬の愛した女性3名を時系列で追ってみましょう。

平井加尾(1838〜1909)/千葉佐那(1838〜1896)/楢崎龍(1841〜1906)


1862 平井加尾が失恋(25)
1864 千葉佐那が失恋(27)
1867 楢崎龍が未亡人になる(26)


みんな龍馬のために婚期を逃していますね。
おりょうさんは結婚したものの新婚生活は短く、
1年ちょっとで龍馬が暗殺されて未亡人になりました。
そして今回の千葉佐那の結婚説をとった結婚の年です。


1866 平井加尾が西山志澄と結婚(29)
1870 楢崎龍が西村松兵衛と再婚(30)
1874 千葉佐那が山口菊次郎と結婚(37)


龍馬のあと、別の男性と恋愛があったかもしれませんが、
結婚に至るまでの期間は加尾とおりょうが4年、佐那が10年になります。
龍馬の七回忌といっていることから、おりょうとの結婚を知らなかったかもしれません。
しかし、37歳で結婚というのはちと悲惨。
まぁ、龍馬がのろけていたようですから美人に変わりはなかったのでしょうが。
加尾とおりょうには子どもが産まれましたが、
この年齢からか佐那には子どもがいたという形跡はありません。
しかも、加尾とおりょうは離婚せずにやっていますが、
佐那の場合は10年も立たないうちに離婚とあります。
これも悲惨な話で、まだお父さんのいうように、
龍馬に操を立てていたほうが幸せだったのかもしれません。


そして司馬遼太郎先生も参考にされた坂崎紫瀾の「汗血千里駒」発表が1883年。
物語なので佐那の話は脚色したのでしょうか?
で、もって今回の出典は1903年になっており、
佐那は一番早く亡くなっているので、この時点では世にいません。
一番長生きしたのは加尾さんの72歳でした。


そういえば本年に入って佐那が描いた錦絵が発見されたと報道されたが、
あとで別人だったなんてニュースもありましたね。
龍馬伝』のおかげで佐那や以蔵が見直され、墓参客も殺到。
しかも足立区には千葉灸治院跡の説明板が立ったり、
「佐那カステラ」なる商品も誕生。完全な便乗商売ですが、
定説が覆ったときどうなるんでしょうか?
もっともこの時系列を見た限りでも、佐那は3人の中で一番悲惨な人生に変わりないですがね。


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