『龍馬伝』第9回「命の値段」

嗚呼、もう3月に入ってしまい、原稿も終わらぬままなのですが、
こちらをサクサク更新して仕事に励むこととします。それにしても綱渡り人生変わりないですね。
なんとか不死鳥のように視聴率を回復した『龍馬伝』。
バンクーバーフィギュアスケートと重ならなかったことが幸いでしたね。
今回は龍馬が二度目の江戸行ということで時代は安政5年(1858)。
武市半平太も江戸にきて鏡心明智流の「士学館」で剣術修行しています。
土佐勤王党の結成は文久元年(1861)ですから、まだ先の話。
しかし、ここまで武市や平井との関係が悪化しているのに、
龍馬はどうやって土佐勤王党に加盟するんでしょうかね。
今回の話は山本琢磨の金時計盗難事件が取り上げられましたね。
ちなみに琢磨は鏡心明智流の桃井道場で師範代をつとめる腕があったようです。
酔った勢いで商人をおどし、落とした金時計を質屋に売ってしまい、
これが盗品とわかって、武市は琢磨に切腹を命じます。
しかし、ここで龍馬が持ち主に詫びに行き、訴えを取り下げてもらいますが、
周囲は琢磨に切腹しろといい、龍馬が逃亡させる。
このへん難しいですね。切腹は極刑にしても逃がしてしまうのはちと。
このあと、なぜ近藤長次郎切腹させてしまったのか複雑です。
まぁ、その後、琢磨はロシア正教の司祭になる人ですから、
ここで死んでしまってはその後の人生はなかったわけですから。


一方の佐那ちゃん。2年4カ月も待たされておかんむり。そのしぐさが可愛いですね。
しかも、重太郎がツーショットにし、佐那が自分の想いを云おうとすると、
龍馬は加尾のことがあって、その場を逃げ出してしまう。
このあと龍馬は乙女に宛てた手紙のように佐那にメロメロになるのでしょうか。
あっ、そうか。その前に加尾との関係を断ち切られねばなりませんでしたね。


史跡紀行では山本(沢辺)琢磨ゆかりの東京都千代田区ニコライ堂が紹介されました。
琢磨はあのあと全国を流浪し、婿養子になって沢辺に改姓。80歳まで生きています。
しかし、日露戦争時は反露感情もあってニコライ堂も暴徒に襲撃されそうになったとかで、
このあたりになると『坂の上の雲』の時代と複雑になりますね。
こちらは龍馬の取材ではなかったのですが、2005年のGWに訪れています。
でも当時はG5しかなかったので広角が辛くうまく撮れませんでした。
ちなみに最寄駅のJR中央線御茶ノ水駅のスタンプにもニコライ堂が描かれています。
ということで今回はニコライ堂とJR御茶ノ水駅のスタンプをUPします。


坂本龍馬創世伝』(メディアボーイをまだ購入していない方は、
ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。


あと3月6日(土)18時よりお江戸上野広小路亭で、講談師・神田陽司さんの
坂本龍馬全仕事」が開催されます。
坂本龍馬の物語と史実を講談で完全解説。詳しくはこちらをご覧ください。


【人気blogランキングへ】