『天地人』第40回「上杉転落」

土日は競馬予想に費やしてしまうので月曜更新になりますが、
いよいよラストスパートに入ってきましたね。
視聴率も20%を切り出しているけど、子ども店長はこれを救うことができるかどうか。
時代は慶長6年(1601)、景勝・兼続主従が上洛し、
家康に会う前に本多正信・遠山康光に会見します。
この脚本家、遠山がよほど気に入っているようですが。
さて、家康との公式見解でも詫びを入れようとしない両者。
結局、あの小早川秀秋が淀へ上杉の赦免を嘆願し、
淀も秀頼も家康に上杉の救済を嘆願する有り様。ミニ秀頼が可愛いですね。
兼続は本多正信の次男政重を兼続の娘おまつに娶らせ、
直江家の養子とすることで外交を有利に運ぼうとします。
でも、史実では慶長9年(1604)の話であって、3年も前倒しになっているのは、
やはりあの「子ども店長」の出番を増やしたいがためでしょうか。
この政重は徳川家を出奔し、関ヶ原合戦では宇喜多の西軍に属して戦いましたが、
正信の子ということでお咎めがなかったようです。
しかし、上杉家の存続をはかったとはいえ、この時点で兼続がそうしたわけではないのですから、
やはり家康との対面でかっこよくおさめてほしかったですね。
で、結局上杉家は120万石から米沢30万石へ減封。
ここで当然、仕えていた家臣の扶持は困るわけで、
兼続もここらへんは「義や愛では喰っていけん」
やけにリアルないいこといいますね。
でも「殿を信じてついてくるのであれば、そなたたちの暮らしは守る」
なんて社会保障をしてくれます。なんてすばらしい!
上杉家臣は感激して家を去る者はいませんでしたと。
でも、実際、石高が4分の1に減っているわけですから、さぁ大変。
その後、3代目の急死の際は石高が半減し15万石になり、暮らしはより逼迫。
結局、中途半端な博愛では救うことはできないように、
民衆というものは暮らしが大変なら、結局は上を恨みますから、
9代上杉鷹山の登場までは兼続は相当恨まれていたといいます。
じゃあ兼続って鷹山の引き立て役じゃんといってしまえば、それまでですが……。


史跡紀行では小早川秀秋の居城・岡山城岡山市が紹介されました。
岡山城自体は宇喜多秀家の築城ですが、小早川秀秋も外堀を20日完成させるなど、
なかなか優秀な業績を残しているようです。
岡山は乗り換えや宿泊で下車したことはありますが、岡山城は未訪のままです。
ただ写真はありますので今回は岡山城とJR岡山駅のスタンプをUPします。


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