『天地人』第45回「大坂の陣へ」

案の定というかえらく話をすっ飛ばしてくれましたな。
話は慶長10年(1605)の秀忠将軍就任のところからですが、
将軍就任の挨拶前に大坂城へ訪れる兼続。
淀殿には「長い目で世を見るように」と告げていますが、
もはや徳川の天下は磐石なものになっており、なんて変わり身の速さ。
出版界もそうですが、結局、古い慣習ややり方に固執する人間は滅んでる!
そんなところすっかり仲良くなった政宗と一緒に秀忠のもとへ。
秀忠さんはボンクラ息子を演じて、「そなたの本心が知りたい」なんていっていますが、
江戸時代で一番改易・減封をしたのは秀忠さんなんですね。
それともこのときはまだいい人だったのか……。
大坂では淀殿が意地はって孤立化し、福島正則高台院が諫めるもきかない。
「家康は焦ってる」って大坂の陣まで、10年近くあるわけでずいぶん悠長な焦りですな。
そして4年飛ばして仙桃院の死を迎えます。
死ぬ間際に謙信の遺言はウソだったとは良心の呵責に苛まれたのでしょうか。
ドラマではさらに5年飛ばして大坂の陣を迎える前に、
兼続の養子・小吉が米沢を去ることになります。
大坂の陣で徳川・豊臣どちらにつくかという理由で去ることになっていますが、
本当は慶長16年(1611)に出奔しており、去る理由をつけたかったのでしょうか。
で、もって方広寺の鐘銘事件が発生。「国家安康」の文字を見つけたのは、
天海ではなく、なんと遠山康光になっている!
で、もって家康に味方するご都合主義の兼続は、どういう言い訳をするのでしょうか?


史跡紀行では石川県金沢市の本多家屋敷跡た政重の墓のある大乗寺が紹介されました。
金沢には久しく行っておらず、大乗寺も本多屋敷跡も未訪の地で写真がありません。
今回はJR西日本の新印の金沢駅のスタンプをUPして失礼させていただきます。


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