駄菓子屋文化

昨日の秋祭りの項で、kazu氏から久しぶりにコメントをいただき、
現在の小牧の子どもの風俗を知ることができました。
彼は僕と同級生で「生活記録仲間」だったのですが、すでに二児の父親。
早くに結婚したあまぞん氏などはもう中学生になる娘もいて、
時を移り変わりの早さをしみじみ感じさせます。話がずれましたが、
なんと、現在ではお祭りで子どもにはお金がもらえず、お菓子しかもらえないそうです。
な、何故、お金はもらえないのでしょうか?
思い当たる節としては小牧の駄菓子屋がほぼ絶滅したからかもしれません。
嫁入りの菓子撒きをはじめ駄菓子王国の名古屋なのに……。
まあ、現在ではコンビニでも10円菓子が置いてあったりするのですが、
コンビニではお菓子やアイスの当たりくじを引き換えてくれないでしょうし、
引き換えてくれたという話を聞いたことがありません。
さすがに大のおとなが当たりくじを引き換えてくれとはいえないし、
時々ガリガリ君アイスで当たりを引いても、そのままゴミになっています。
そういう意味では東京のほうが、未だに駄菓子屋や駄菓子のある雑貨屋が残っていて、
僕が住んでいた練馬区西大泉、豊島区南長崎、新宿区上落合の近所にも、
駄菓子屋系のお店があります。ところが故郷小牧ではこういう店を見かけないのです。
昔は南外山にもおでんも食べられる駄菓子屋がありましたし、
小牧南小学校近くにもカビパンで有名なミズノヤがありました。
母の実家近くにも服部屋、戒蔵院の境内にプラモも売ってる駄菓子屋などありましたが、
結局、大体はおばあさんの個人経営ですから後継者などいるわけもなく、
おばあさんが亡くなると、店も無くなってしまうのです。
「駄菓子屋=子ども好きなおばあさん」という図式が成り立つのですが、
ミズノヤだけはおじいさんが中心でした(たまにばあさんもいたが)
昔は怪しげなお好み焼きなども売っていたのですが食べずに正解でした。
なにせ、カビの生えたパンを売る店ですから賞味期限などムシ。
衛生観念がなく、現在だったら保健所から営業停止にされたかもしれません。
オダ君と晃生などは「ミズノヤの歌」を作詞し、
「ミズノヤまずいよ、ミズノヤおつりがない」
などと唄って、各クラスをコンサート巡業して人気者でした(ひどい……)
岐阜の駄菓子屋でも虫の湧いたチョコに遭遇したことがありましたが、
いま思えば店で現金を返してもらうより、メーカーに送りつけたほうが、
お詫びの品がたくさんもらえてよかったと後悔しきりです。


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