徹夜明けでとりあえず4ページ分のデザイン入が終わったのが午前8時。
その足で写真手配のために向かったのが本題の2箇所です。
晴天のため一眼レフとスタンプ帖持参で出かけました。
移動手段はいろいろ悩みましたが、一番安上がりと思ったのは東京メトロ一日乗車券710円。
それにコロプラ駅奪取PLUSの新規駅も増やせる(結局それかい!)からです。
まずは銀行に寄って振込手続きを済ませてから、
中野から東西線経由で千代田線の千駄木へ。
まずは文京区森鴎外記念館へ行き申請手続きを踏みます。
このあと近くのファーブル昆虫館にも寄ってみましたが、
開館が金土日の13〜17時で、金曜はよかったものの開館前で断念。
千駄木から北千住経由で日比谷線乗り換えなのですが、
町屋駅が位置登録できないため、いったん折り返して途中下車してしまいました。
昼食は写真を撮りませんでしたが、ちょっとリッチな立ち食い蕎麦を食し、
北千住から日比谷線でいったん広尾まで位置登録し、
六本木で下車して南北線の六本木一丁目まで歩いて乗り換えたのは一日乗車券の恩恵です。
南北線で続いて向かうのは幕末の写真を多く所蔵する港区立港郷土資料館です。
本当は田町か都営三田線三田駅が最寄なのですが、
本日はメトロしか利用できないため、白金高輪から結構歩きます。
しかし、この周辺はまだ史跡写真を撮っていない箇所が多く、
大信寺・魚籃寺などを撮影し、一番収穫だったのは冒頭写真の立行寺です。
ここには大久保彦左衛門忠教の墓(写真左)があるのですが、
屋根付祠堂の中のさらに木造の祠の中にあり立派なものです。
祠堂の外側には一心太助の墓も祠の中にありましたが、
他に大きな頌徳碑もあって大久保彦左衛門の人気ぶりがうかがえます。
あとかなり脱線しましたが、大石良雄外十六人忠烈の跡(写真中央)も撮影。
ここは忠臣蔵で知られる大石内蔵助ほか16人の赤穂浪士たちがが自刃した地で、
以前、97年頃に神田紅さんの忠臣蔵の史跡めぐりのとき訪問しているのですが、
この頃は紙焼でしか撮っていなかったのです。
さらに郷土資料館に向かう途中には三田台公園があって、
復元竪穴住居の地下には当時の暮らしを伝える人形(写真右)もありました。
さらに亀塚・最初のフランス公使館のあった済海寺も撮影していたら、
ここでついにカメラがバッテリー切れ。
やっとのことで港区立港郷土資料館に到着したのが16時過ぎ。
残念ながら今回探していた写真は見つかりませんでした。
再び白金高輪までとぼとぼ歩き、南北線後楽園経由で丸ノ内線に乗り換え
池袋からさらに副都心線で西早稲田を迂回し、
西早稲田から高田馬場を経由して本日の取材は終わりです。
それでも『ライフ』で唯一の定期購読誌『優駿』を買うため、
落合で下車してさらに事務所まで歩いたので、結構歩いて脚にもきました。
撮影は117枚でしたが、本日は徹夜明け疲労のため、
帰宅後にテレビを観てたらそのまま意識を失ってしまった次第です。