与板日帰り旅行記5(8月23日・3日目)

1日の日帰り旅行でも細かく書けばこうも長くなってしまう。
もう一度最後の行程だけ記しておく。


1948伊勢崎2000→2006駒形2012→2031岩宿2047→2053国定2123→
2139前橋大島2208→2227高崎2233→004赤羽009→018池袋024→
033新宿041→045東中野


今回スタンプがメインとなるのは両毛線
前橋・桐生だけは押していたが、あとは未押であったので桐生までの
各駅を押さえることにした。まずが東武との接続駅である伊勢崎に下車。
この駅は2003年の取材でも下車したことがあったが、
スタンプ収集熱が失せていた頃だったので押しそびれてしまった。
伊勢崎にはスタンプが3個あったが、東武のものはすでになくなっていた。
やはり前回行った時に押さなかったのが痛かった。
立ち食いソバのスタンドもまだギリギリ営業していて食指が動くが、
駅弁も買っていたので今回は見送る。
続いて折り返して駒形へ。駒形では6分でまた折り返す。
先頭や最後方の車両では降りたときに改札まで遠くなってしまう危険性があるが、
先に駒形の改札の位置を確認しておいたので中ほどの車両に乗る。
両毛線は意外に編成が長い。ロングシートの乗客は分散してまばらだが、
JRがそんな非効率なことするとは思えないし、
通勤時間帯はそれなりに利用があるのだろう。

駒形駅は営業窓口が20時までだが、
駅員は終電まで常駐しているようでスタンプが押せた。
係員にスタンプ押印を申し出たが、「こんなのしかないよ」といわれ、
かなり摩滅した印影のものを出してくれた。
バックの赤城山は分かるが、お堂と力士が判明しない。
続いて岩宿駅へ向かう。岩宿といえば昔歴史の教科書で習った岩宿遺跡のあるところ。
本来なら昼間に遺跡とセットで訪れたい駅ではあるが、
歴史の仕事としては戦国・幕末が中心で考古学とは疎遠になっている。
岩宿駅でもスタンプが4個あった。時間に余裕があったからよかったものの、
駒形のような短い時間では落ち着いて押せなかったであろう。
それにしても雨脚が強くなり、列車のダイヤも遅れ気味になっている模様。
待合室では競艇の新聞をもったかなり年配の方々が談義に花を咲かせている。
当駅は桐生競艇の最寄駅でもあるのだ。
この時間帯にギャンブラーがいるのは不思議な気がしたが、
ナイター競走があったことをあとで知る。

岩宿で再び折り返す。211系だがセミクロスの車両である。
次の国定までたった一区間であるが、ボックスシートに腰を落ち着けた。
国定では折り返しの列車に乗る予定もないため、次の下り列車まで30分ある。
スタンプ押印を申し出ると、ここも「昔のしかないよ」といいながら、
DISCOVER>→JAPANのスタンプ合わせ2個あった。
現在は伊勢崎市に編入されたが、2004年までは東村の中心駅。
こんな旧村の小さな駅でも終夜まで係員が常駐し、
時間に気兼ねなくスタンプが押せるのは嬉しい。
常駐の理由をきくと、始発と終電の間が短く帰れないらしく、
宿直の交代制になっているという。
国定で長岡駅で購入した「日本海さけかに合戦」を食す。
鮭とイクラの親子とカニの身が入った2種類の味が楽しめる駅弁だ。
最初は半分だけ食して残りは持ち帰ろうと思っていたが、
食欲に火がついて全部食してしまった。
本来なら待ち時間を短縮するため前橋で折り返して、
前橋大島のスタンプを押す予定であったが、
上下とも列車が遅れがちになっていたので、
前橋下車は諦め、前橋大島でやはり30分近く滞在することにした。
国定にやってきた列車は、オレンジとグリーンの旧国鉄色のクハ115系
懐かしい。昔両毛線に乗った時はこの電車で心地よい眠りについていたもので、
つい昔の記憶が蘇った。
最後の下車駅・前橋大島は高崎支社印の新しいシャチハタのもの。
それにしても高崎支社はあまり周囲に名所がなさそうな前橋大島に新印を設置し、
国定・岩宿などの観光ポイントのある駅に設置しなかったのは不思議だ。
今回、一度降りた前橋で折り返したかった理由はもうひとつある。
明日の競馬新聞がついた東スポを購入したかったからだ。
しかし、前橋大島でも駅前にコンビニらしき店は見当たらず、
雨脚も強いため、駅から出て歩くわけにはいかなかった。傘をもっていない。
前橋大島では3分ほど遅れて高崎行の列車が来た。
これでは高崎の乗り継ぎ時間でも新聞は買いづらい。
ただ、高崎のNEWDAYSも終了していたのでいずれにせよ購入できなかった。
高崎で最終の上野行に飛び乗り、赤羽へ向かう。
湘南新宿ラインが走っている時間帯なら新宿まで乗り換えなしで行けるのだが、
この時間は赤羽で埼京(赤羽)線、池袋で山手線と乗り継がなければならない。
赤羽では武蔵野線との接続で10分遅延の放送。
すでに東北本線高崎線の列車は終了しており、
3〜6番線のホームは消灯し、1日の役割を終えていた。
赤羽で山手線に接続しなくてもなんとか最終で東中野まで戻れると思っていたが、
山手線も埼京線の列車を接続し、新宿0時41分の高尾行最終に乗り継げた。
ただし、高尾行最終も京王との接続を待ったため10分ほど遅れ。
通勤時間帯と同じような混雑のなか、東中野に着いたのは午前1時近くで、
21時間ほどの日帰り旅は終わった。


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