さようなら沖縄バヤリース

shugoro2014-12-26

世間では仕事納めのようですね。もちろんこちらも仕事納めというわけでなく
まだまだたんまり残った仕事は年明けに持ち越しそうです。
五十日を避けて銀行への振込みに行ったのですが
やはり週末ともあってATMは時間をとられてしまいました。本日はこんなニュースがありました。


バヤリース、きょう最終出荷 30日解散、42年の歴史に幕】
沖縄バヤリース南城市、上間長恒社長)は26日、同社で製造した最後の「バヤリースオレンジ」を出荷する。
事実上、42年の歴史に幕を下ろす。同社は30日に解散し、
パート13人を含む従業員42人は解雇となる。
営業権はアサヒ飲料(東京)に譲渡、「バヤリースオレンジ」など4銘柄はアサヒ飲料
子会社「アサヒオリオンカルピス飲料」で製造される。
県外飲料メーカーとの競争など度重なる経営難を乗り越えてきたが、
老朽化した工場へ設備投資する余裕がなくなり、後継者問題も重くのしかかっていた。
 米国生まれのバヤリースオレンジは、沖縄で64年の歴史を持ち、県民に親しまれてきた。
1950年、米国の会社とフランチャイズ契約を結び
バヤリース・カリフォルニア・オレンジ(オキナワ)」が設立され、
軍人・軍属向けに製造を開始した。60年に地元資本を入れて「アメリカン・ボトリング」に
社名変更、民間へも出荷するなど順調に業績を伸ばした。
 だが、ボトリング社は72年の日本復帰を機に解散を決めた。そこで社員が出資して72年、
新会社沖縄バヤリースを設立した。設立後は苦難の連続だった。免税だった米軍関係の出荷が、
復帰後は課税され価格が跳ね上がった。米軍はバヤリースを直接本国から輸入するようになり、
全体の3割を占めた米軍向け売り上げを失う。
 加えて県外商品が増加し価格競争にさらされた。追い打ちをかけるように73年の石油ショック
ガラス瓶の原料が不足しコスト高になった。その後持ちこたえた。
2001年に解散が検討されたが、社員は満場一致で「自主再建」の道を選択した。
起死回生の策として、当時人気のシークヮーサーに着目し、
シークヮーサー果汁飲料の生産を開始した。売れ行きが良かったことから、
グアバなど県産素材を生かした健康・長寿商品を開発し業績を回復した。
04年度の売り上げは過去最高の16億4800万円だった。
しかし、商品回転率の早い飲料業界で、新商品開発が追い付かなかった。
会社は次第に体力を失っていった(2014年12月26日/琉球新報


バヤリースといえばオレンジジュース。
子どもの頃は何度か飲んだ記憶があるのですが、
ここんところは炭酸のコーラゼロがメインだったのですっかり疎遠になっていました。
ただ、旅先ではこの缶ジュースを飲んだ覚えがあります。
沖縄の地場産業なのだから政府が支援してでも残さなくてならないのになかなか厳しそうですね。
新宿3丁目の沖縄料理『島たぁーち』も最盛期は2軒と沖縄物産店まであったのに
現在は1店舗のみに縮小していますし。
シークヮーサーはサワー系でもよく飲みますが、
それすら他のメーカーに押されてしまったとは。
葬式飲みではないですが、さっそく近くの『コモティイイダ』に脚を運ぶと
ありましたバヤリースオレンジ。で、買ってみて気づいたのは
すでに販売がアサヒ飲料になっていたことです。
まぁバヤリース自体がなくなるわけではないですが、
沖縄産でなくなってしまうのは寂しい限り。やはり消長早い業界なんですね。


本日の木之前葵ちゃん
9Rエガオデコタエテ3着(2番人気)複勝140円アタリ
10Rダイヤモンドタクト8着(7番人気)


うーん、9Rは結構印もついていたのですが勝つことができませんでした。
複勝的中も3連単まで買ってしまい完全なトリガミ
29日のハヌルソンムルに期待し、東京大賞典の軍資金調達にします。


【人気blogランキングへ】