草冠の姫駅(4月14日)

shugoro2013-04-15

16日早朝に夜行バスで帰宅しましたが、
14・15日の両日で撮影したのは520枚
またしても気の遠くなる枚数ですが、
後半は整理がしやすいため、とりあえず前半の300枚ほど整理を終えました。
ただ、14日は第1回長良川鉄道facebookオフ会お花見in北濃美濃太田駅に行く前に
時間があったので何駅か途中下車してみました。
そのため、14日の記事は2日に分けて更新したいと思います。
それではまずは14日前半の行程から紹介します。


新宿2340→(名鉄バス)→614勝川616→633定光寺647→650古虎渓710→
714多治見740→800姫817→829美濃川合850→853美濃太田

13日は午後から亀戸文化センターでスタンプオフ会があり、
北濃駅のスタンプをお披露目し、参加者に押印してもらいました。
そしてそのまま両国の『函館海鮮』漁火両国店で二次会を楽しんだあと、
新宿へ移動して名鉄バスに乗り込みます。
最初は多治見のバス停で下車してそのまま太多線の途中下車をしようとも考えましたが、
バス停から小泉駅が微妙に遠いので斤量が堪えるため断念。
勝川からSuica利用で途中下車をしながら美濃太田をめざすことになったのです。
勝川で2分接続の6時16分の下り列車に乗れたのは、
勝川到着が予定より早かったためです。
そのためまずはまだ一度も途中下車していない定光寺駅(写真左)へ。
あの鉄道アイドルの木村裕子さんが好きな駅として挙げており、
なるほど名古屋出身の木村さんが訪れたく理由もうなづけます。
名古屋〜多治見間は完全な通勤路線にもかかわらず、
愛知・岐阜の県境は庄内川土岐川)の渓谷で、
都会の喧騒が嘘のように静かな山間の駅なのです。
どちらかといえば紅葉の季節に訪れたほうがよかったかもしれません。
そして次の古虎渓駅(写真中央)でも途中下車。
古虎渓駅は30年ほど前に自転車で訪れたことがあり、
2011年8月12日にも寝過ごして当駅で折り返しているのですが、
このときは暗闇のため写真は撮っていません。
ここも長いトンネルの間にあり、渓谷の眺めが美しい駅です。
多治見でそのまま1本前の太多線にも乗れたのですが、
今回は多治見駅も撮影したかったので、1本落としました。
あとで気づいたのですが、近郊ながら多治見市内の写真をデジで撮るのは今回が初めてでした。
多治見駅も乗り換えでしか利用したことがなかったので、
実際に改札の外に出るのはかなり久々になります。
すでに旧駅から改築されて橋上駅に生まれ変わっていますが、
駅弁や立ち食いそば屋が健在だった頃に一度も食すことができなかったのが心残りです。
北口のほうはまだ開発が手付かずの状態でしたね。
多治見から太多線に乗り換え、太多線で最初に途中下車したのが冒頭写真の姫駅です。
この駅にはたくさんの思い出があり、どのように変わったか見ておきたかったからです。
この駅に最初に訪れたのは昭和57年(1982)1月のこと。
脇谷英康とあまぞんの3人で間内→新鵜沼(鵜沼)→美濃太田→多治見→
春日井と名鉄国鉄を乗り継ぎ、春日井から名鉄バスで帰る一筆書きを実践したときです。
このときは姫駅で下車したわけではありませんが、
列車の交換で6分停車したので、あまぞんがスタンプの有無を尋ねて、
のスタンプを押印しました。僕はスタンプ帖を持参していなかったので悔しい思いをしたものです。
姫駅は昭和46年(1971)に旅客営業をやめていましたが、
高山本線が昭和44年(1969)に全線CTC化されたにもかかわらず、
近郊路線の太多線はまだCTC化されておらず、運転関係の駅員がいました。
スタンプは「花と緑の姫駅」。周辺の名所が描かれていないぶん、
より斬新な印影が目にとまりました。翌月にはリベンジを果たしています。
ただ、スタンプ押印は停車時間中でしたので正式に訪問したわけではなく、
初めて自転車で訪れたのは昭和60年(1985)春になってからです。
実は前年に原田知世主演の映画『天国に一番近い島』が放映され、
レコード主題歌の裏面にあったのが『草冠の姫君』というタイトルの歌でした。
なんかこのほのぼのとした歌が結構気に入ったもので、
この舞台は姫駅ではないのかと思い立ってカメラ持参で出かけたのです。
題名は文字ってしまいましたが、まずはこの歌をご拝聴ください。

太多線沿線はたしかに宅地開発が進んでいましたが、
姫駅周辺はまだのどかな田園が残る片田舎で、
運転関係の職員も健在でしたから、それはもうホームも花壇が整備され、
ミニ庭園まであって乗客の心を和ませてくれました。
職員さんも列車の来ない時間帯は暇だったので、いろいろと丁寧に応対していただき、
写真も撮らせてくれました。古き良き国鉄時代のひとコマです。
本当は当時の写真も載せたかったのですが、
現在の荷物だらけの状態では写真が発掘できず、当時のスタンプしか出てこなかったわけです。
その後、姫駅を訪れることはありませんでしたが、
JR可児駅に保存されている腕木信号機の案内板によると、
翌年の昭和61年(1986)11月27日に第一種電子連動によってCTC化され、
姫駅の信号梃子を扱う作業もその使命を終えました。

木造駅舎も平成18年(2006)3月に解体されてしまい、
簡易駅舎(写真左)に改築されたと聞いたときは残念に思ったものです。
そして今回が28年ぶりの訪問となりました。
列車の行き違い(写真中央)は現在も変わりなく行われていますが、
下りホームにあったミニ庭園は石灯籠にその名残をとどめるだけで、
花壇もなくなり、無人化されると味気ない駅になります。
かつては駅前の店で切符を販売していましたが、
現在はその店もなく、駅前の廃業した電器屋を見ても、
以前より寂しくなった感は否めません。
しかし、その反面で自然が豊かになっているのかもしれません。
17分ほどの滞在でしたが、下りホームの待合室には若いカップルが
会話に花を咲かせながら列車を待っており、
あの28年前のような歌詞の光景が甦るようなワンシーンが展開されました。
もし青春のあの日に帰りたいなら、当駅を訪れてみるのもよいかもしれません。
また、当駅でこの歌を聴いてみるのもよいでしょう。
そういえば蓮華草もあまり見かけなくなりましたが……。


姫駅をあとに最後の途中下車が美濃川合駅
この駅は高校時代に何度か訪れていますが、何の変哲もない元からの無人駅。
未だに高校生の利用は多く、駅前には有料の自転車預かり場が数軒ありました。
ここでも木曽川橋りょうを渡る列車(写真右)をフレームにおさめます。
本当は車両基地も撮影したかったのですが、
混雑で座れなくなることが予測されるため、早目に長良川鉄道のホームに並ぶこととし、
次の列車で美濃太田駅へ向かった次第です(つづく)


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