20年ぶりの流山電鉄(6月2日)

shugoro2012-06-04

430年前に本能寺の変があったこの日、
天候が芳しくなくてなかなか行けなかった
流山電鉄(冒頭写真)の取材に行ってきました。
流山電鉄(流鉄)に乗るのは20年ぶり。
92年に記念すべき記者デビューした『93汽車旅100選』
キッコーマン流山工場の工場見学の取材以来となります。
2003年にも大河ドラマ本の『新選組を旅する』で取材したのですが、
このときはスタッフが現地に行っているので縁がありませんでした。
しかもまだその当時はポジフィルムを使用していましたから。
でも、20年前は流山から東武江戸川台へバスで抜け、
野田の醤油工場も取材したのですが、どうも野田の工場ばかりが記憶に残り、
流山のほうは全然印象に残っていないのです。
電話で確認したらキッコーマン流山工場の工場見学はもう行っていないというし。
ということで朝5時ぐらいに起きるつもりだったのですが、
やはり年齢からくる疲労か、寝坊して出遅れてしまいました。
それでももうこの日を逃すとあとがなくなるので8時過ぎに出て、
中央線快速で東京に出て、上野から常磐線で馬橋へ。
最初は馬橋で萬満寺、馬橋などを取材してから流鉄で終着の流山へ向かいます。
沿線の取材はもちろんですが、もうひとつの目的は全駅のスタンプと硬券入場券のコンプリです。
流山までは片道190円と安いのでビックリ! しかも20年前と運賃が変わっていません。

平凡な緑の多い市街を走り、小金城趾で列車交換が行われただけで
あっという間に終着の流山駅(写真左)に到着。
最初はここから全駅歩いて幸谷まで行くつもりでいました。
流山では流山市立博物館、閻魔堂、近藤勇陣屋跡(写真中央)を撮影していたらもう午後、
さらに平和台方面に歩いて一茶双樹記念館(写真右)、光明院、赤城神社などを撮影。
平和台駅に着く頃にはもう脚が棒のようになってしまい、
軟弱にも平和台〜鰭ヶ崎は電車に乗ってしまいました。
鰭ヶ崎では東福寺、三本松古墳を撮影し、南流山駅にも寄ってスタンプ押印。
このあと次の小金城趾駅までも歩いたのですが、もう17時近くになっており、
本土寺アジサイ撮影は断念。それでも小金城趾を撮影し、
最後の幸谷駅にたどり着いたのはもう日暮れ時でした。
こうしてなんとか流鉄の全駅のスタンプと硬券入場券はコンプリートできましたが、
結局は出遅れが響いており、物件が足りない場合は再撮に行かねばなりません。
天候も曇空でお世辞にもきれいに撮れたとはいえません。
幸谷駅はJR新松戸駅の最寄なのでここからはJRで帰るのですが、
我孫子駅と新しくスタンプができた錦糸町、140周年のスタンプがある品川駅にも
立ち寄ってから帰宅したので、家に着いたのは22時過ぎでした。

この日のグルメは不発に終わりました。
ランチは以前に取材した流山の『柳家』に寄るつもりで、
そのために馬橋の郵便局で追加の取材費も引き出したのですが、
柳家』が満席でふられてしまい、最初に購入した馬橋せんべい(写真左)で食いつなぎ
やむなく『幸楽苑』の中華そば304円がランチになりました。
帰りは新松戸駅の立ち食い・ご当地喜多そば480円(写真右)でした。
喜多そばは初めてでしたが、おろしカツがのっていて(゚Д゚)ウマー
ついでにここまで来たからということで我孫子駅にも脚を延ばし、
弥生軒』の唐揚2個入480円も食して帰りました。
弥生軒』の店舗は下りホームしか営業していませんでしたが、
やはり(゚Д゚)ウマーな立ち食い蕎麦だけあって繁盛していました。


ということで今回の撮影は久々もあって550枚超
翌日中には整理し切れず、本日になってようやく整理が終わった次第です。


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