『龍馬伝』第41回「さらば高杉晋作」

昨日もなんとか8ページ入稿してから、1日遅れで『龍馬伝』を更新します。
今回は高杉晋作との死別を描いたため、肝心の弥太郎のほうがかすれてしまいました。
やっと土佐商会と海援隊結成で龍馬との絡みが史実だというのに。
それはともかく弥太郎に亀山社中のツケを回されるところと、
あの後藤が長崎奉行所に呼ばれ、カステラも貪る姿がおかしい。
おりょうへも探索の手が伸びたので、おりょうを下関へ向かわせ、
ここで高杉晋作に会う。なぜか高杉だけは大政奉還に同意するも、
木戸と龍馬の間にはしこりが残る。どうも今回の脚本家が長州出身なので、
長州びいきに描かれているという噂が立っていたが、そういうことなのか。
弥太郎のほうは大洲藩からいろは丸を借りることに成功します。
一方の長州では中岡慎太郎と再会。
中岡は海援隊には加わらず、陸援隊を組織して倒幕をめざすのですが、
これに対しては龍馬も「おまんのやりたいようにやれ」とは解せません。
このへんは桐野先生の『膏肓記』にも書かれていますが、
龍馬は大政奉還一本やりでなく、むしろ武力討幕という点で木戸と一致。
むしろ、木戸同様、大政奉還なんてムリと考えていた節もあり、
後藤のほうは大政奉還に尽力していた感があるのです。
『歴史人物の常識疑問』の一坂先生の稿にもありましたが、
むしろ大政奉還の可能性が高くなってから、
龍馬がころっと態度を変えたという見方もあります。
高杉晋作が亡くなったのは慶応3年(1867)4月14日。
最期の花見はいかにもサクラのような散り際で描かれていましたね。
しかし、晋作の遺志というのは大政奉還でなく倒幕かと思いますが。


史跡紀行では高杉晋作ゆjかりの地として山口県下関市の終焉之地および、
奇兵隊陣屋跡、東行庵、高杉晋作像などが紹介されました。
どうもこの未訪エリアをやられてしまうと、写真もスタンプもないので辛いです。
ということで今回はナシですいません。


坂本龍馬創世伝』(メディアボーイをまだ購入していない方は、
ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。


【人気blogランキングへ】