せっかくビデオに録画しておいたのに、結局は土曜の再放送観てしまいました。
写真整理や空白の日記を埋めるのもひと苦労しそうです。
本題に入りますが、うーん、あの最大の見せ場といえる寺田屋騒動で、
視聴率が16.8%までしか回復しないとは、
もうあとは消化番組の如く低迷していくんでしょうね。
やはり序盤で弥太郎が寺田屋に泊まり、土佐へ帰るのもナンセンス。
あの肝心のおりょうの入浴シーンも規制されてしまい、
なんかよくわからないようなドタバタ劇のまま幕を閉じました。
龍馬が左手を負傷したのはたしかですが、
それが瀕死にかかわるようなものとは思えません。
わざと瀕死の状態にして際立たせる手法はわかりますが、
結局、おりょうと材木小屋へ逃れた三吉が薩摩藩邸へ駆け込み、
無事に救出されました。しかし、戸板で運ばれてくる龍馬ということで次回に続きます。
今回の失敗はあの映像だったのでしょうか。
映画や大きいスクリーンでは迫力がありますが、
僕のようなチビテレビではなんか全体的に薄暗い感じがして、
泥臭く観えてしまうんですね。それとムリなフィクションが、
歴史好きに反感を買ったのでしょう。
取材先では龍馬のポスターをあちこちで見かけ、
旅行関係では盛り上がりを見せているんですがね。
史跡紀行では京都市伏見区の寺田屋や伏見奉行所跡などが紹介されました。
伏見は昨年7月、9月に行き、さらに昨日も伏見城と、
昨年撮りこぼした伏見薩摩屋敷跡を訪れています。
寺田屋は当時の建物は戊辰戦争で焼失しており、
実は再建なのですが、それではロマンをこわすことになりますね。
いえ、再建でも雰囲気は十分出ていますので楽しめますが。
今回は寺田屋と伏見奉行所跡の写真をUPします。
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≪追伸≫
10日戻ってきた時点では45万件を突破していましたが、
逆算するとこの日あたりで到達したと思われます。達成日は、
5万件突破が2007年2月6日、
10万件突破が2007年8月29日、
15万件突破が2008年2月24日、
20万件突破が2008年8月29日、
25万件突破が2009年1月6日、
30万件突破が2009年6月13日、
35万件突破が2009年11月30日、
40万件突破が2010年5月11日でした。
4カ月足らずで5万件とはやはりツィッターの影響もありましょうか。
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