『龍馬伝』第6回「松陰はどこだ?」

shugoro2010-02-08

龍馬伝』順調な滑り出しのようで、第5回では視聴率24.4%と記録更新。
やっぱり根本的なドラマのつくりが、『天地人』とは雲泥の差があるようです。
時代は嘉永7年(1854)から。道場を破門された龍馬を訪ねにくる佐那。
道場に戻ってくるよう兄にもおねだりする佐那が可愛いですね。
で、郷里の土佐では弥太郎が加尾の口利きで米問屋の支援を受け江戸に遊学決定。
一方の武市半平太は意見書が認められ、参政の吉田東洋と面会。
白髪頭でも酒飲む容堂(豊信)が今にも斃れそうで不安ですが、
僕的に一番いいシーンと思ったのは、やはり吉田東洋武市半平太の対面。
攘夷を唱える半平太に対し、東洋は「日本は異国に勝てると思うか」と一喝。
まっこと正論だったのでビックリ! この時点ですばらしい先見性をもつ東洋。
半平太・龍馬など土佐勤王党からみれば敵役だけど、
この部分は筋が通っていますね。のちに後藤象二郎・板垣(乾)退助・岩崎弥太郎
東洋の傘下にいるだけに、やはり弥太郎の視点というのは、
いくら悪役の東洋でもいい味が出されています。
もっとも容堂や東洋が個人的に好きな人は少ないので、龍馬ファンの仕返しが怖いですが。
で、東洋の「その程度の男か」に対し、自分が下士だからと勘違し、東洋を憎悪する半平太。
のちに東洋を暗殺してしまう半平太ですが、この東洋の暗殺がきっかけで、
土佐は勤王党の弾圧につながり、粛清の嵐となったわけです。
一方、伊豆下田では吉田松陰が黒船密航を企て、
龍馬と桂がこの場に駆けつけ、松陰に同船を頼むも殴られる龍馬。
松陰ってあんなキャラでしたっけ?
結局、龍馬は自分の道をみつけ、再び千葉道場で剣術修行することに。
5月で修行を終え、帰郷することになりますが、
佐那が「本当に戻ってきてくださいね」と云って指きりげんまん。
「本当に呑ませますからね」と冗談が通じなさそうな佐那の一途さがいいですね。
ところで佐久間象山先生の砲術勉強の話がスルーされてしまったけど、あとで登場してくれるのかな?
あと桐野作人先生の『膏肓記』も併せてお読みください。


史跡紀行では静岡県下田市を取り上げ、弁天島吉田松陰金子重輔像やペリー艦隊来航記念碑、
蓮台寺吉田松陰遇寄処、了仙寺などが紹介されました。
弁天島やペリー艦隊来航記念碑は未訪ですが、吉田松陰遇寄処、了仙寺は2007年8月に、
伊豆急行の取材で訪れています。今回は了仙寺とスタンプ、
吉田松陰遇寄処、伊豆急下田駅のスタンプをUPします。

あと追加で上田さんが弁天島吉田松陰像を提供してくれましたのでUPします。
身を潜めていたという洞穴は今にも崩れそうで危険。もちろん通行止めの札があるそうです。

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ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。


あと今回は6日発売の『特冊新鮮組DX』2010年3月号(冒頭写真)で、
坂本龍馬を巡る男の人物像」を寄稿しています。
しかもプレゼントコーナーでは、当社制作の坂本龍馬創世伝』(メディアボーイを、
5名様にプレゼントという大盤振る舞い! どうしてもお金がない方は、
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当選するかどうかは運次第のところもありますが……。


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