昨日は原稿入稿にとまどった1日でした。
さてこれまで旅じゃBLOGで続けてきたNHK大河ドラマ『天地人』の批評。
旅じゃBLOGが9月24日で終了したため、完走できず38回までとなってしまいました。
なんか尻切れトンボのような終わり方で、
楽しみにしていた読者(おらへん・おらへん)もいたようなので、
あと残り9回、観続けられるかどうかわかりませんが、
とりあえず当ブログでしばらく続けられればと思います。
なお、これまでの『天地人』批評はこちらのカテゴリーをご覧ください。
このあたりまで観続けていると、役者さんが演じる歴史人物に見えてきてしまうのは何故でしょうか。
とくに上杉景勝演じる北村一輝さん。眉間の皺が景勝や信長のようにに見えてきてしまいます。
さて、捕えられて家康の前に引っ立てられてきた石田三成。
家康を罵倒しながらも最後には「自分が責任をかぶるから他の諸将には寛大な処置を」といい、
これには家康も感嘆したのか「さらばじゃ」といってその場を去ります。
しかし、実際には寛大な処置などなく、家康は三成に与した西軍諸将には情け容赦なく改易・減封。
これに対して東軍で戦功を立てた福島正則・小早川秀秋が抗議しますが、家康は知らん顔。
一方の兼続の会津にはあの初音が訪ねてきて、三成の最期を報告。
干し柿のエピソードは出てきませんでしたね。
もはやミニ兼続より、トヨタCMの「子ども店長」で有名になってしまった加藤清史郎君が、
兼続の子竹松として再登場しました。露出が少ないのが残念。やはりミニ兼続の時のほうがよかったか。
やがて、家康より上洛の要請があり、兼続と実頼が先に上洛。
人質になっていた菊姫・お船に再会します。
京都では東軍として敵対した福島正則・小早川秀秋と対面。
まさか福島正則がこの時点で後悔し、罪人となった三成に酒をすすめるとはね。
敗軍の将・三成を手厚く遇したしたのは黒田長政だったはず。
福島正則も三成を誉めたエピソードがないわけではないですが、
どっちかといえば処世のため、徳川に転じています。
続いて小早川秀秋も三成の牢へ行き、話しをしています。
臆病な人柄は相変わらずですが、他のドラマでよく見られた三成の亡霊に
悩まされるといった件はありませんでした。
三成の遺言というのは「我らの正義を生きて後世に伝えよ」。
この正義というのが曖昧すぎますね。「勝てば官軍」ですから。
最終的に景勝・兼続主従も徳川方に転じ、大坂の陣では豊臣方と戦うわけですから、
ここらで人間はみんないい人なのよの「性善説」を打ち出します。
結局、この後、豊臣家に殉じるのは真田幸村はじめ一部浪人だけですから。
豊臣家と戦うことになる兼続は三成の遺言を反古したことになりますね。
それとも今度は豊臣家こそ世を乱す元凶だから成敗するとでもいうんでしょうか。
ただ、さすがの家康も三成の子重家を赦免した話があるように、
どうせならこちらを取り上げてほしかったですね。
なんかしっくりいかないまま次回で兼続は家康と対面します。
史跡紀行では福島正則ゆかりの広島県福山市の福山城や、
名古屋市秀吉清正記念館、広島市の広島城などが紹介されました。
ここで福島正則にスポットをあてたのは意外でしたが、
福山城や広島城はさすがに未訪ですので、
今回は唯一訪れたことのある名古屋市秀吉清正記念館とスタンプをUPします。