九州ブルートレインとともに消えたなでしこ

3月ももう終わろうとしています。本日午前2時25分からの
日テレのプロレス中継の地上波放送が最終回。
CS放送で継続するからか、なんかあっけらかんとした最後でした。
日本プロレス時代から続いた55年のプロレス中継に幕を閉じることになったのですが、
最後くらい特集を組んで欲しかった気がしますね。
三沢社長のアパート・マンション経営『ザ・リーヴ』のCMはどうなってしまうんでしょうか。
もうひとつの話題は2月25日に書いた笠松の女予想師なでしこが、
3月13日をもって廃業していたことを、ネット上で今さらながら知ったことです。
実はこの話、旅ジャーナリスト会議の会員誌『旅行主義』に寄稿していたので、
急遽原稿の内容を一部差替えなくてはならず、慌ててしまいました。
せいぜいYahooニュース程度しかチェックしませんから、完全に忘れ去られていた記事でした。
3月13日といえば、あの九州ブルートレイン富士・はやぶさ」の最終日。
ブルートレインの影に隠れて彼女もひっそりと競馬の舞台から消えてしまったのです。
この女予想師が廃業の危機にあるという記事がのったのは2月16日の読売新聞。
それを聞いてかけつけた追っかけさんもいたでしょう。
しかし、予想は1回100円、1日500円ですから、
1カ月の収入は5万程度しかなく、副業のアルバイトで生計を成り立てていました。
しかし、不況でその工場をリストラされてしまい、次のバイト先も見つからず、
ついに廃業の決意をしたようです。この記事が中日新聞朝刊に載ったのは3月15日でした。
なぜ廃業の危機にあることを中日新聞で取り上げてくれなかったんでしょうかね。
しょせん、東海エリアでは読売のシェアなんてしれています。
もっともお堅いナゴヤ圏ですから「競馬なんてけしからん」という目で見られていたかもしれません。
で、結局、誰も彼女に別のアルバイト先を紹介するなど、救いの手を差し伸べてやれないのだから、
生半可な博愛では救うことはできないのでしょう。世知辛い世の中です。
4年前に笠松競馬が窮地に立たされたとき、予想師に弟子入りし、
9カ月間修行して女予想師「なでしこ」としてデビューした松田宣子さん。
笠松の集客のためにここまで頑張ってきた彼女でしたが、
この競馬不況という状況下で救ってあげることはできなかったのです。
ちょうど笠松も土地明け渡し訴訟で存廃にゆれていたときでした。
なんとか競馬場のほうは和解に向けて動き出したようですが、
笠松競馬場はまた一人貴重な人材を失ってしまいました。
彼女も苦渋の決断だったと思います。
文末の「一度辞めて戻るのは先輩たちに失礼。今後は一ファンとして見守りたい」
という引き際の潔さも身につまされる想いです。
まだ25歳と若い彼女ですから、人生はこれからです。4年間お疲れ様でした。


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