本日をもって北海道新冠町のナリタブライアン記念館が閉館になる。
ブライアンの二周忌の2000年9月27日にオープンして8年。
早田牧場が2002年11月に倒産し、いったんは休館となったが、
有限会社ケンブリッジバレーの支援で本日まで続いたことになる。
入館料は300円。開業当初は500円だった気がしたが……。
競馬バブルがとっくにはじけていることを考えれば、1頭の馬でよくもったほうだろう。
結局、行かずじまいに終わってしまったが、記念スタンプはあったのだろうか。気になる。
僕が最初に日高地方に牧場の取材に行ったのは97年。
ちょうどナリタブライアンが引退して種牡馬入りした年だ。
それはまぁ神々しいまでの馬体をしており、マスコミも取材にきていた。
佐々木場長が箒を振ってブライアンをカメラ目線にするように仕向けていたのがおかしい。
98年にも行ったが、それがブライアンを見た最後だった。
帰京後、ブライアンの腸閉塞のニュースが出て、その3カ月後に亡くなってしまったのだ。
97年から99年まで3年続けて日高へ行ったことになる。
JRAの売上げは97年がピークで、以降は下降線をたどった。
でもまだ20世紀はバブルの恩恵に預かっていたのも事実だ。
しかし、すでにやばい兆候もあった。オグリキャップの優駿SSにあった売店で、
オグリキャップの商品が叩き売りされていた。
しょせん、消長の早いサラブレッドだから、1頭の馬に一途であり続けることは難しいのだ。
ブライアンの記念館ができたのは、すでに下降線をたどっていた時期だ。
2003年11月に4年ぶりに日高へ取材に行った。
そのときしかナリタブライアン記念館へ行く機会はなかったが、
慌しく1泊2日という行程では無理だった。
シーズンオフなので民宿は飛び込みでも大丈夫だった。
プラス1000円で、ものすごい量の夕食が出たのも思い出だ。
牡馬の3冠馬は2005年にディープインパクトが出た。
それでも競馬売上回復につながらなかったのだから、やはり購買は相当下がっているのだろう。
それでも本日まで運営を維持した関係者に敬意を表したい。