昨日は三木鉄道(旧三木線)のことを書いたので、
本日はそのときの様子を描かせていただきます。
当日はひたすらPCに向かって原稿書いていましたし、
そんな何の変哲のないことよりもこちらのほうが……。
とはいえ、仕事とまったく無縁な話ではないのです。
今回の仕事で廃線となった国鉄の写真やスタンプも一部取り上げるのですが、
これがデータ化していませんので、古いアルバムのカミヤキや、
スタンプ帖などからスキャンしているわけで、これが結構時間かかります。
我ながら感心させられるのは、初期の頃はスタンプ帖に日付を押印し、
乗った路線まで書き込んであるのです。まさかこれが25年後に財産となるとは……。
このときの記録をみると驚かされるのが、「青春18」5日分を連続で使いきっているのです。
春休みには3月25〜30日の6日間通しで、ドラえもんと廃止になる、
魚沼・弥彦(一部)・赤谷・久慈・宮古・盛・清水港を乗っているのです。
しかも久慈からそのままバスを乗り継いだほうが宮古は近いのですが、
「青春18」をフル活用してわざわざ折り返しているのです。
東北の話はまたの機会にして、今回は昨日の三木線のときのプランです。
たしかあのときは旅の栞まで自分でつくっており(もうすでに呪われていた)、
それがあれば何時何分の電車にのったということまで分かるのですが、
さすがにそれは実家にお蔵入りしています。
記録では1日目は名古屋から東海道・山陽を乗り継いで九州に入り、
最終で佐賀まで行って駅寝。今思えば高校生ですから、
よくもまあ補導されずにすんだものです。蚊に刺されてほとんど眠れませんでしたが。
翌日は佐世保・大村線経由で長崎へ行き、折り返して矢部線に乗り、
九大本線で由布院まで行き駅寝。駅寝2日目です。
ただこの日は初日より蚊はいなくて眠れたような。
で、本数の少ない宮原線に乗って肥後小国へ行きました。
大変おもしろかった肥後小国ですが嫌な思い出もあります。
僕がスタンプをメモ用紙に押し、ちょっとトイレで離れた隙に、
母子連れが僕のメモ帳を勝手に使ってスタンプを押しているではありませんか。
しかもその図々しい母親は子に向かって「ほら持ち主が来ないうちに押してもってけ」と
のたまっているのです。いったい子どもにどういう教育をしているのでしょう。
ぶっ飛ばしてやろうかと思う気持ちを押さえてあとにしました。
shugoroさんは昔からスタンプを愛する人間で、スタンプを押すメモ用紙がないのなら、
惜しげもなくくれてやります。水道橋駅でも僕が押していたら、
子どもが興味津々で押したがっているので、メモ用紙を分けてやったこともあり、
基本的には優しい人間なのです(自分でいうな!)。
まあ、さぞかしそのお子さんは立派な人間に育ったことでしょう。
このあと日田彦山線で小倉を出て九州をあとにしました。
九州には他に香月、室木、添田、勝田など廃止対象線区があったのですが、
僕が原田知世の故郷へ行ってみたいという希望から、ドラえもんとの折衷案で、
矢部・宮原線を乗ることでプランを練ったのですが、ドラえもんは福岡の廃止線に乗れなかったことを
後悔している様子で、「お前が長崎なんて行くからだ!」と怒っていた記憶があります。(つづく)