毎年この日に行われるウーマンティナーの集い(今年は7回目)。
講談や落語など女流芸人だけで構成された寄席で、
講談師の神田紅さんからいつも案内をもらっていたのですが、
僕が転居ばかりするものだから、転居通知の期限も切れてしまいました。
そこで今回も参加して新しい住所の名刺と新刊を紅さんに渡そうとしたのですが、
不幸にも打ち合わせが長引き、行くことができませんでした。
(紅さん、陽司さんごめんなさい。新刊は郵送しますね)
一難去ってまた一難。ようやく『風林火山』を終えたのに息つく暇もありません。
恐怖の『三国志』関連本の編集を5年ぶりにやることになったからです。
すでに著書『三国志人物事典』(新紀元社)もあるのに何故恐怖かというと、
この本を製作するきっかけとなったのは紛れもなく、光栄のゲームにはまったからです。
女も金もないから大学の貴重な青春時代をゲームに費やすバカな人生を送っていました。
そこから三国志関係の本を買いあさり続け、
ウチにはその関係だけで、ダンボール1箱分以上はあります。
初めての著書はその集大成といえますが、そこに高度な編集技術が入ったためか、
韓国や台湾でも翻訳されて読まれることになったのは喜ばしい限りです。
詳しくは2月27日の日記をご覧ください。
以前にも各見開きで図版やらチャートなどつくる三国志本を製作したのですが、
知り合いの某氏は、その編集の最中に倒れて病院送りになりました。
この代打要員として僕が恐ろしいほど苦労させられたわけです。
思えば『春秋戦国新聞』(アスペクト)もそうでしたね。
つまり資料となる本が多ければ多いほど調べるのが大変になり、
やたらと凝るので図版作成などには大変な労力を要します。
そして作れば作るほど高度な編集技術が要求されるのが『三国志』なのです。
だから正式な僕の肩書きはエディターでもライターでも予想家でもなく、
三国志クリエイターなのです(知る人ぞ知る)。
この三国には旅行・競馬・歴史の3ジャンルの意味も含みますが……。
僕もいったん事務所移転の際に三国志関係の本は、
すべてダンボール箱に封印していたのですが、
このたびそのパンドラの箱を開けざるを得なくなりました。
『史記・春秋戦国人物事典』(新紀元社)でもそうだったのですが、
この時代の原稿書きや編集は資料が多くてまず確実に散らかります。
その作業で専用の机がひとつないと困るほどです。
思えばアスペクトのフリースタッフやってた頃は大きな机がたくさん空いてました。
だから机を三つぐらい占拠して「競馬用」「三国志用」などと分けていたものです。
28日に多慶屋で購入した会議用のテーブルが明日届きますが、
このテーブル全部『三国志』の作業用になりそうです。