なぜか東急とは疎遠な自分

shugoro2013-03-14

3月16日はダイヤ改正でさまざまなお別れがある。
例年ならこの改正前にも青春18を利用して
葬式撮りでもしているのだが、
結局、改正前は何処へも行くことができずに終わりそうだ。
また東急東横線東京メトロ副都心線が相互運転することから
明日をもって東横線渋谷駅の地上駅が廃止され、
渋谷〜代官山間の地上区間も地下化されるので、
かなりの葬式撮りが殺到していると聞く。
だが、どうも東急とは自分が無縁なため葬式撮りに行く気にもなれない。
元々、なぜか横浜方面とは無縁だからかもしれない。
例えば西武だと社会人になって最初の居住が保谷だったので通勤で利用したし、
東武も下板橋にあったまずいラーメン屋(現在は閉店)
めぞうの家に行く機会によく利用した。
南下すれば京王は東京競馬場へ行く際に、
小田急は小田原までの電車賃節約で、京急川崎競馬場でそれほどではないが利用した。
しかし、東急東横線に関しては本当に乗った回数が少ないのだ。
最初に乗ったのが、たぶん89年8月だったかと思う。
これは当時、就職協定というのがあって先に内定をもらっていた会社に
この解禁日に入社歓迎会とかで拘束されたときだ。
当時はもう超バブリ〜な時代だったから、むしろ協定解禁日までのほうが勝負で、
ここまでに会社に内定もらわないといけないという意気込みがあった。
僕が最初に入社した某版元は恐ろしくこの試験日が遅くてのんびりしていたが、
このために解禁日までに内定をもらった会社への入社を辞退せねばならなかったのだ。
結局は解禁日まで「協定守っています」とひたすら嘘こかれ、
この解禁日にめぞうとJR倒壊のインチキ入社試験に行ったら、
いきなりTV局が駆けつけ、僕らは走って逃げた。
そりゃすでに先に内定もらっているのに、こんなとこTVに映されたらたまらんと当時は思ったわけで。
でも、就職協定なんて嘘っぱちだったから、案の定、JR倒壊も青田買いしていたので、
僕もめぞうも結局は高飛車なJR倒壊に一次面接で簡単にふるい落とされたけどね。
一応の名目上の面接のあと、午後からはその内定もらっていた会社に拘束され、
歓迎会ということで横浜で食事会があり、ここで誓約書にサインさせられた
わぉ〜、これで入社辞退したらコーヒーかけられるぞっとと心底びびったものだ。
で、拘束されたあと同じ内定もらっていた学生らと都内へ戻ったが、
このときに「東急のほうが電車賃安い」ということで渋谷まで乗ったのだ。
その後、日吉にあった井上美幸(現在はぽにょ)の家とかに行ったり、
横浜開港資料館へ写真借りに行ったりしたときに利用したこともあるのだが、
どうもいつも慌しくて横浜では観光した記憶がまるでない。
最近では2008年4月20日に出版記念会があって、そのときに利用したぐらい。
普段利用していなかったから全然惜別への実感がわかないのである。
それに東急は京王同様に駅スタンプがないからますます疎遠だった。
昨年になってやっと渋谷駅に冒頭写真のスタンプと2種類できたので
押しに行ったことはあったのだが、それ以外は本当に利用していない。
地上駅廃止後も東急唯一の常設スタンプが残るのか、それだけが気がかりだ。
まぁ、東急東横線で一番の思い出はあの就職協定解禁日の拘束帰りに乗ったというだけで、
あと出しジャンケンだった某版元の内定もらっていなければ、
果たしてその会社に行っていたかどうかも分からない。
みなが内定もらったあとの8月後半でも一流企業の空き人員が
まだまだいくらでもあり、他にも内定がもらえた時期だったからだ。
内定辞退の誤りに行った某社にはコーヒーかけられなかったけどね。
しかし、就職して1年目の第二新卒というチャンスを逃したあと、
自分の人生は大きく変わり、まともな会社勤めが疎遠となる。
ともにJR倒壊の入社試験に落ち同じスタートを切りつつも
20年以上まじめにサラリーを続け、累進して現在は重役となった粘り強い漢めぞう
スタート直後に落馬し、代表取締役とはいえ実際は安定がなくプー同然のshugoro
いま思えばまさにあの帰りに乗った東急電車は
自分を脱線させるためにあった運命のレールだったかもしれない。
紆余曲折を経て現在の自堕落な僕がここにいる。
最後にフミノイマージン、お誕生日おめでとう!


≪備忘録≫
本日のフミノ式ダイエット
朝/おにぎり20円引85円
昼/緑のたぬき105円かつおぶし15円
夜/缶チューハイとホテトチップ210円
合計415円
ローソン100』で湖池屋のポテトチップに食指が動いたのが運の尽き。
これを間食にしたらヤバイだろと思って夕食にし、500円以内で逃げ切った。
あとはもらった味噌汁でごまかし、本日はすげぇー無茶苦茶な食生活だったな。


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