本日は15時から西新宿へ打ち合わせがあり、
執筆も中断されましたが、8ページ脱稿でようやくゴールも見えてまいりました。
ところで本日は中井から都営新宿線で西新宿5丁目へ出て、
別のルートから打ち合わせの場所へ向かったのですが、
このときになって初めて見覚えのあるビルの存在を知りました。
それが打ち合わせ先の向かいのビルだったとは……。
そもそもあれはもう12年も前のことでございます。
某社のフリースタッフとして、そのビルに詰めていた頃は、
豊島区南長崎に住んでおりました。
ちょうどまだ都営大江戸線が12号線と呼ばれていた頃でございます。
97年12月に練馬〜新宿が開通するまでは、
西武池袋線で池袋へ出てJRに乗り換え、新宿からトボトボと歩いておりました。
で、12号線の新宿延伸に伴い、落合南長崎〜都庁前で通えるようになったのですが、
とにかく無茶な本の編集を1冊押し付けられたものですから、
それはそれで大変でございました。
当初まだ僕はPCが導入できておらず、HITACHIのワープロを
かついで往復しておりました。しかし、困ったことにこの会社には、
当時マックが1台しかなく、他の人も使うのでなかなか空かない。
そこで皆が寝静まる深夜にしか作業ができなかったわけです。
しかし、もうそれはそれば過酷な時代でございましたから、次から次へと人は辞めていき、
会社に泊まる人も何人かいましたわけで、
皆が終わりのない仕事を延々としているわけでございます。
しかも大概は本1冊に担当1人ですから、誰も助けてくれないわけで、
椅子を並べて居眠りしていると、女性編集者の「助けてくれ〜」との呻き声が。
編集というものの孤独さと、独りだと悲鳴をあげてしまう過酷な労働条件を物語っておりました。
ただ、当時は3万部とか出せた時代ですから、
多少なりともまだ報酬で報われていたのかもしれません。
といっても過酷なことには変わりはありませんでしたが。
ちょうど下にコンビニがあったので、そこの弁当ばかり食して確実に馬体重が増えていきました。
しかし、自宅に戻っても風呂に入って仮眠するだけで、
毎日この細いペンシルビルを往復していたわけでございます。
今はその会社も移転して、そのビルにはもう別の契約者が入っていると思いますが、
あのペンシルビルを見た途端、ビル4Fからあの呻き声が聴こえてならなかったのです。
いま、あの底辺を支えていた泊まり組はどうしているのでしょうか?
と記憶をたどってみましたが、現在と状況は全然変わっていないじゃん。
しかも当時より確実に単価は下がっているので余計地獄じゃんかよ。