改訂版というものは

帰国して初日からたまった仕事やブログの更新などでバタバタ。
朝からK先生が原稿届けに来訪し、S先生からも郵便で原稿が届く。
本はこの時点で8冊も並行し、もう何を優先してよいのかさっぱり分からない。
久々にランチに『盛興園』の麻婆そばとチャーハンのセット。
昨日まで中華喰ってて、また中華かよといいたくなるところだが、
美味いもんは美味い。(゚Д゚)ウマー
それはさておき、帰国後の新型インフルエンザの潜伏が気になるところだが、
奈良のT先生から電話があって、実際に罹患してしまい、一週間の休職とか。
高校の講師もしているので、そこから感染してしまったのだろう。
その先生の電話とは8年ほど前に一緒に仕事をしたS社の本のこと。
これは先生と岐阜を取材したときのものだ。
なんでも改訂版を出すから、校正はどうしたらよいかとの相談だった。
改訂版とはいえ、こちらは歴史紀行がらみの本で、
当時の記述とそぐわない箇所がいっぱい。
何を今さら制作費をケチってこんな本を焼き直すのか?
本文自体はもはや取材当時のものと注書きをうたうしかないであろう。
だが、市町村合併で地名も変わっているから、
問合せ先や交通アクセスも全然違うものになっている。
まぁ、たぶん本文の若干の誤植は修正できても、
変わってしまった地名や地図などはどう修正してくれるのか?
あの版元の編集力に期待したいところだ。


一番ショックだったのは、旧兼山町の取材で二度もお世話になった
水野教育長が2年前に亡くなっていたことだ。知らなかった。
実はこの方、高校のクラスメイトの親父さんで、
92年にはブルーガイドの取材で、01年にはこの本での取材でお世話になった。
このときはスタッフがとろくて名前のルビを間違えてしまい、
お詫びの電話を入れたのも僕であった。
改訂版で教育長の名前のルビは修正できるが、その教育長はもういない。


それにしても悔やまれるのは当時は教育長の顔パスで、
普段は拝観できない寺宝などを撮影させてもらったが、
その写真のポジは宝の持ち腐れのようにS社に眠っている。
しかも、当時から取材費は往復の交通費にも満たない2万しか出さず、
T先生もお怒りになった頃の話だ。いま思えばあの時点で仕事を断るべきだったのだろう。
あの版元との付き合いが切れて6年。未だに無断転載を平気でやらかす厚顔無恥な馬鹿ども。
まぁ、間違っても僕の原稿を無断転載しないようにしてもらいたい。


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