M瀬君を偲ぶ

shugoro2014-11-13

最後の校了日にも目を通せば通すほど気になる箇所が出てどうにもなりません。
時間が許す限り朝まで目を通して提出。あとは本になっていたとき
その赤字がすべて反映されているかだけですね。もうこれで完全に手離れしました。
そんな徹夜明けで11時より竹橋まで打ち合わせに行き、午後は完全にダウン。
それでも光回線工事のやりとりや病院へ行かなくてはならず大変でした。
結構長期で通院せざるを得なくなりそうですが、生命にかかわる重病ではありませんのでご安心を。
ただ医療費が馬鹿にならないのだけはたしか。
帰宅後にPCの更新をしたら余計なものまでインストールされてしまって
インターネットエクスプローラーも立ち上がらなくなってしまうほどでした。
これもアンインストールするのに時間がとられ、更新もすっかり遅くなってしまった次第です。


しかし、何とも今月は訃報が多く、今回は8日に故郷のM瀬君が亡くなったことを実家の電話で知りました。
M瀬君とは保育園〜中学まで同級生で、中学以降はあまり遊ばなくなってしまい、
今回の葬儀も家族だけで密かに行われたそうで、
葬儀に参列した同級生や同郷生もいなかったようです。
晩年は無職で引きこもりだったという噂もあり、
とくに親交が続いていたわけではないのですが
史記録官の村野鎮守としてM瀬君との思い出を書き綴っておきたいと思います。


三国志尾張書「M瀬伝」より
M瀬君は尾張国東春日井郡の人である。保育園児〜小学生まではよく遊んだ仲で、
父も美濃国出身ということもあって、野生児で虫や魚を採るのがうまかった。
小学生なのに夜になってからクワガタなどの甲虫を採りに行ったもので、そういう場所をよく知っていた。
また田んぼでイナゴを大量に採って、M瀬君の家でイナゴの佃煮を料理してもらったこともあった。
渾名はM瀬象という。これは当時がきデカのこまわり君のギャグ
「あふりか象が好きっ!!」(冒頭写真)をM瀬君が最初にやったので
以来M瀬象と呼ばれるようになったのだ。
動物が好きでペロという犬を飼っており、
M瀬君の家が通学路の途中にあったので、みんながよく犬をかまっていた。
M瀬君もペロやペロの産んだ子犬を連れてよく遊びに来ていた。
M瀬君との全盛期は小学3年の頃であろうか。
この小学3〜4年はとくに同郷の南外山出身が同じクラスに集中し、
ツダ君、満男君、K一、M瀬君などがいた。
地区は違うが現在もくされ縁で親交のあるめぞうKAZZも同じクラスだった。
これとは別に南外山では近所の家族で旅行するすみれ会というのがあって、
ここでもM瀬君やツダ君などとひるがの高原に泊まりに行ったことがある。
その3年生のときに学校で編纂した詩集で、あまりにも馬鹿馬鹿しいが
記憶に残ってしまったT口君の書いたM瀬くんの詩を紹介したい(名は伏せます)


○○○くん
    T口Y広

○○○くんは
ふとってる
にわとりみたい
でもこわい


○○○とはM瀬君のことで、M瀬君はお菓子をよく食べ太っていた。
だからイジメたのではなく、よくいじられた。
M瀬君も怒りはしたが、決して暴力をふるうことはなく、
くすぐりなど単なるじゃれ合いをしたものである。
小学5〜6年とクラスは違ったが、それでもよく虫採りとかで遊んだ。
そして満男君がよくM瀬君をネタに流行の歌などでいくつも替え歌を作詞した。
そのなかでも最も印象的だったのが先述の詩をそのまま小学校の卒業式の歌に編曲したものである。

未だに記憶に残ってしまうところをみると、パーマンこと満男君
作詞の天才だったかもしれない(んなわけないだろ)
逆に小学校卒業と同時にM瀬君とは疎遠になっていった感がある。
中学1年はそれでも同じクラスだったので、まだ付き合いはあったが、クラブ活動もあったのだろう。
2年以降はまったく疎遠となり、もちろん言葉を交わすことはあっても遊ぶことはなくなっていた。
その頃のM瀬君はクラブ活動もあって痩せていた。高校も違うのでますます疎遠になったが、
あるとき岐阜の某市役所につとめているお父さんのコネかなんかで、同じ市役所に転職したことを聞いた。
M瀬君のお父さんはその市役所では有名な方だったので
僕も向こうの取材ではお世話になろうと思っていたのだが、
結局そのチャンスはなく、残念ながらお父さんも1年前の2013年10月に他界した。
M瀬君はいじめにあったという噂もあり、新しい職場にはなじめなかったようで、
結局仕事を辞めてニートになってしまった。
また中学時には痩せていたが、小学生時よりも太ってしまったと聞いた。
今回の急死はそれが原因だったともきくが、僕とて油断できない深刻な問題ではある。
なんて云ったってぐじょおはうみゃあああ〜もんがいっぴゃああるからだ。
それにしても虫やイナゴを採って食べていた故郷も
現在は変わり果て、M瀬君と虫採りに行った木ももはや皆無。
必要もないのに無残にも車優先で区画整理された故郷で、
世間の目を気にしながら引きこもったM瀬君ははたして幸せであったのであろうか。
もはや見送る同郷の人すらいなくなってしまったのは寂しい限りである。
ここにM瀬君を偲んで記憶の片隅にとどめたい。合掌。(鎮守)


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