ちと早かりし高遠の桜

shugoro2014-04-08

ぜはーぜはーようやく取材最終日の
写真280枚の整理が終わりました。整理自体は17日に終わっていたのですが、
更新は21日になってしまったのは、18・19日の両日は山梨へ取材に出かけており、
20日も初校ゲラ戻しがあって、これが21日までかかってしまったのです。
それでは青春182冊10回目となる最終日の行程から。


村井603→632辰野650→734伊那市749→(JRバス関東)→810高遠…
高遠本町1329→(JRバス関東)→1355伊那市1418→1437駒ヶ根1508→
1651金野1710→1716天竜峡1718→1957岡谷2003→2133甲府2136→
2300高尾2305→2354中野

『信州健康ランド』に宿泊し、朝は村井駅からスタートですが、
ダイヤ改正時に営業時間が短縮されたようで、
朝は駅係員がおらず無人のため、日付印を押してもらうことができませんでした。
仕方ないので辰野で日付印を押してもらい、飯田線に乗り換えて伊那市へ。
伊那市からはJRバス関東で高遠へ向かいます。
高遠へは1993年に『ロマンティック信州』(実業之日本社の取材が初めてです。
このときは1ページの記事だったのですが、きちんと撮影取材をし、
観光協会の方に懇切丁寧に車で案内してもらい、大変よい思い出となりました。
むろん、このときの撮影はポジフィルムで、会社での撮影なので手元には残っていません。
その後、2006年10月1日にも大河ドラマ風林火山』の取材で行ったのですが、
このときは大雨で撮影がまともにできず、
高遠城跡と建福寺、桂泉院しか撮影できませんでした。
むろん雨天での撮影で写真もよくありません。
ということで未撮影の高遠城址公園コヒガンザクラ目的で向かったのです。
バス停の高遠駅で下車したあと、まずは商家民俗資料館池上家、建福寺(写真左)
満光寺、絵島像のある蓮華寺などの史跡や寺社を撮影。
ここは20年前の93年の取材でも案内してもらった箇所です。
高遠町歴史民俗資料館を経て、ようやく高遠城址公園にたどり着いたのですが、
冒頭写真のようにつぼみで赤味は帯びているものの開花に至りませんでした。
2日後には開花していたので「青春18」最終日のほうがベターだったのですが、
この日は打ち合わせが入っていたので、どうにもなりません。
桜は撮影できませんでしたが、このあとも樹林寺、峰山寺、桂泉院などを撮影し、
もうひとつの目的地である高遠町歴史博物館へ。
ここは100名城スタンプがあるのと同時に、
2010年に除幕した生母お静顕彰碑(写真中央)があり、
2011年の大河ドラマ『江』の取材の時は撮影できなかったからです。
さらに館内併設の絵島囲屋敷(写真右)も93年の取材以来の撮影になりました。
たしか当時はホテルが管理しており、屋敷内も見学できたのですが、
現在は外からしか撮影できません。

お昼は名物の元祖ローメン700円(写真左)(゚Д゚)ウマーし、
高遠から伊那市へ戻り、本音を云えばそのまま帰路につきたかったのですが、
飯田線の取材原稿もあったので、そのまま時間が許す限り南下しようと考え、
まずは駒ヶ根(写真中央)で途中下車。すでにJRの職員がいない
簡易委託駅になって寂しい限りで、駅併設のテナントもシャッターで閉ざされ、
駅弁も販売していた頃と隔世の感があります。
ただ、駅前にはスーパーがあり、ペットボトルの飲料水が80円台で売っており、
弁当もミニソースカツ丼が190円という安さで食糧を大量購入。
こう考えると600円以上もした駅弁が淘汰されるのはやはり時代の流れなのかもしれません。
駒ヶ根からさらに南下して秘境駅で下車したのは金野(写真右)
本当は田本へ行きたかったのですが、門島で列車交換があってたどり着けないのです。
金野では20分足らずの滞在でしたが、たまたま保線の職員もいました。
周辺に民家はなく、金野集落までは徒歩1時間かかるそうですが、
それでも「車でアクセスできるのは救い」と職員が語っていました。
このあとは折り返して岡谷から中央本線経由で戻りましたが、
運悪くコロプラが乗り合わせていたので駅奪取がスムーズにいかず、
途中でエラーまで出てしまい、まともにポイントが稼げませんでした。
岡谷〜甲府は211系のオールロングシートでしたが、
甲府〜高尾は115系でここで駒ヶ根駅前で購入したミニソースかつ丼を食し、
中野着が23時54分で自宅到着は午前様となりました(おしまい)


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