フミノ最終章

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東京でフェブラリーSがあった、この日の京都4R障害未勝利戦。ここで2頭の馬が亡くなりました。

1頭が谷氏所有の「フミノ」冠号としては現役最後の馬となったフミノムーン(牡8)。障害入り初挑戦でしたが、試験も優秀なのと平地の脚が買われて最終的には3番人気に支持されていました。

果敢に前へ行き1周目7号障害飛越着地時に転倒。その映像を観ると、脚の曲がり方が明らかにおかしく、素人目からもさすがに厳しいとは思いましたが公式発表を待ちました。パトロールフィルムには転倒して立ち上がろうとするところをさらに後続の馬と何度も接触し痛々しい姿が映し出されていましたが、発表では右第3中手骨開放骨折による予後不良。フミノムーンと接触したソウラセブン(牝5)も環軸関節脱臼で即死。幸いにも手綱をとった森一馬と江田勇亮の両騎手には異常はなかったようですが、障害競走に向かない当日の荒馬場が相当非難を浴びていました。

 

フミノムーンの最期をもって51年にわたる「フミノ」の馬主さんの歴史に幕を閉じました。冠号の由来は大阪の町医者の谷二(たに・つづく)氏と、弟でやはり歯科医を営んでいた谷三(あつむ)氏の兄弟の名、「二」と「三」を合わせて「フミノ」としました。まさに二人三脚といったところでしょうか。先に三氏は亡くなりましたが、谷二氏の馬主歴は「キタサン」の冠号でおなじみのサブちゃんこと北島三郎氏(名義は大野商事)の57年に次ぐものではないでしょうか。

そのサブちゃんは最後の最後でキタサンブラックというGI7勝馬を出しました。それほど良血・高額馬でないところから名馬を輩出したことでドラマを生みましたが、現実には稀なことで51年間の馬主歴を持つ「フミノ」さんはわずか4頭しか重賞勝ち馬はいません。

 

フミノヒカリ(71年生・75年北九州記念

フミノアプローズ(83年生・86年きさらぎ賞GIII

フミノトキメキ(01年生・05年小倉SJ・JGIII)

フミノイマージン(06年生・12年札幌記念・GIIほか重賞3勝)

 

単純に計算すれば10年に1頭も出なかった割合ですが、それ以外でもフミノアチーブ(85年生・88年京都4歳特別・GIII3着)、フミノパラダイス(94年生・96年アネモネS)、フミノサチヒメ(03年生・08年クイーンS・GIII3着)などオープンで活躍し、GIにも出走した馬はいました。

そして札幌記念を含む重賞4勝で最高総賞金の3億円近く稼いだ大将格フミノイマージンは2013年のヴィクトリアマイルで右第1指関節脱臼による予後不良という悲劇を迎えます。

谷二先生は2018年3月に89歳で他界し、馬主歴は49年だったのですが、オープン馬として唯一現役で残っていたフミノムーンは奥様の谷迪(みち)氏が引き継ぎ、あの白、袖緑二本輪の勝負服の「フミノ」は51年続いたことになります。現在、僕のfacebookカバー写真にも使われている、昔作った横断幕は「馬を愛して40年」となっていますが、「51年」に改めました。

 フミノムーンは谷先生が所有した馬では最後の世代になりますが、新馬戦ではあのブチコ様とも対戦し、9番人気で勝つという華々しいデビューを飾ります。その後、500万も勝ち上がり、1番人気に支持されたファルコンS(GIII)では4着に敗れますが、オープン特別のマーガレットSを勝って賞金を加算。現地観戦では最後となったGIのNHKマイルCに駒を進めます。13番人気と低評価でしたが、直線では鋭く伸び一瞬「おおっ」と思わせるシーンもありましたが、巨漢馬ヤングマンパワー接触してから脚色を失ってしまい7着でした。いま思えば最後のGI出走となりましたが健闘を称えるべきでしょう。

 その後はスプリント路線に転向し、1000万条件に降格ながらも順当に勝ち、17年のバーデンバーデンC(OP)を制覇。他にも16年京阪杯GIII)と18年シルクロードS(GIII)での3着の実績があります。さすがにそれ以降は往年の力は望めませんでしたが、それでも「どこかで一発やってくれる」という期待を常に抱かせた馬でした。

生涯成績はオープン特別2勝を含む39戦6勝。獲得賞金は1億3000万円を超えたのですから馬主孝行な馬であったことは云うまでもありません。「フミノ」さんは51年間、馬を愛して安い馬ばかり買い続けましたが、トータルで損はしなかったそうです。

51年間の記録では中央205勝、地方162勝、中央・地方合わせた獲得賞金は30億近くになります。

 サブちゃんとは違って51年の馬主歴をもってしてもGI馬をついに出すことはできなかった「フミノ」さんですが、そんな零細馬主からもGI制覇を夢見て出走してきただけでも、「フミノ」が有名な競馬関係者はじめ多くのファンに愛されたことは云うまでもありません。「フミノ」がきっかけでオーナー関係者や本家の井崎脩五郎先生や鈴木淑子さん、たまちゃんに逢えたのも本当に楽しいおもひでです。

ここにおいてフミノ応援団としての活動も終了します。同じ「フミ」の名があるだけで引き込んだ副団長の野菜博士や「ふみのすけ」こと池添リツ、昔から深く関わりのあったBETTYさん、写真をいつも撮ってくれたエスパーMっちゃんにも団長から深く御礼申し上げます。

 なお、現役最後のフミノムーンはフミノアプローズフミノイマージンと同じ悲劇を辿ってしまいましたが、石山繁元騎手の記憶に出てくるフミノトキメキや、晩年走ったフミノファルコン(2010年生)やフミノメモリー(2010年生)は引退後も乗馬として幸せな余生を送っていることを報告し、おもひでの写真とともにフミノ応援団の締めくくりとさせていただきます。

 

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