藤田伸二騎手引退

shugoro2015-09-07

本日はぐじょ喰えもありましたが、
久々に競馬で大きなニュースがあったので取り上げます。

【藤田電撃引退!エージェント制で騎乗減「モチベーション無くなった」】
歴代8位のJRA通算1918勝を挙げた藤田伸二(43=栗東・フリー)が
6日の札幌競馬騎乗を最後に引退することになった。
同日、JRAに「騎手免許取消願」を提出。受理したJRAは7日にも正式に引退を発表する。
ダービージョッキーの電撃引退に衝撃が走った。
 デビュー25年目の夏競馬終了とともに関西のベテランジョッキーが引退を決断した。
この日、札幌競馬場で2レース(1、7R)の手綱を取った藤田。
7R(イキオイ=10着)の騎乗を終えて検量室に引き揚げてくると、
「騎手免許取消願」をJRA裁決委員に手渡した。
「(引退について)マスコミにしゃべるつもりはない。(ネットのサイトを通じて)ファンに直接発信する」
とだけ語ると、口を閉ざしたまま足早に自家用車に乗り込み、同競馬場を後にした。
 引退のいきさつは最終騎乗となった7Rの50分後に、同騎手の公式ブログを
プロデュースする競馬ポータルサイト「UMAJiN(ウマジン)」に掲載された。
本人直筆の長文でムチを置く思いをつづっている。
「本日9月6日、札幌競馬最終日にて騎手人生25年間に終止符を打つことに決めました」との書き出し。
エージェント制により一部の騎手に有力馬の騎乗が集中している現状を訴え、
「競馬に対するモチベーションが無くなっていました」と心情を明かしている。
さらに「私を応援してくれた少数のオーナーさんのお陰で今日まで乗り続けてきましたが、
これからダラダラ続けても、ファンの皆様に落ちぶれたと思われるのも不甲斐(ふがい)だし、
いつまでも競馬会にしがみつきたくないのが本音です」(原文まま)と記した。
≪エージェント制度≫06年4月にJRAが導入した騎乗依頼仲介者(エージェント)の制度。
エージェントに騎乗依頼の処理を任せることで、騎手の負担が軽減される。
1人の仲介者につき、担当できる騎手の数は「騎手3人+減量騎手1人」と定められている。
これにより有力なエージェントを確保できた騎手に、
有力馬が集まるようになったスポニチアネックス9月7日(月)7時0分配信)


冒頭写真はJRAから拝借しました。
藤田騎手はJRA通算成績は1万5271戦1918勝(うち重賞93勝、GI・17勝)、
2着1590回、3着1476回。通算での勝率0.126、連対率0.230、複勝率0.326。
地方では247戦45勝、海外では15戦0勝でした。
2013年6月に著書『騎手の一分』(講談社現代新書)を刊行し、
すぐにでも引退が囁かれていましたが、ようやくと云った形で
本人もどのタイミングで引退するかを模索していたところもあったことであろう。
ただ、2年前の著は福永や岩田の騎乗法への非難や
「エージェント制」「外人騎手偏重」「大手クラブの台頭」へのJRA責任転嫁に終わっており、
個人の感想としては正直、買って損したと思わせるような内容だった。
にしても2002〜2007年と2009年は年間100勝以上していたし、
まだ43歳とはいえ、なんかここ数年で急激に老け込んでしまった印象がある。
やはり2012年に31勝と勝率・連対率とともに低迷し、
毎年制覇していた重賞も途切れてしまったことを考えれば
やはり2011年に著書を出し、少なくとも2年前に引退すべきではなかったのかとも思えてならない。
2012年以降重賞未勝利ということを考えても晩節を汚さずにすんだからである。
僕が競馬雑誌の編集記者をやっていた時代は
藤田はまだ若手であったが、92年タケノベルベットエリザベス女王杯で大万馬券演出!
あの勝ちあぐねたムッシュシェクルを重賞3連勝させ、
94年の京都新聞杯ではスターマンであの当時現役最強馬ナリタブライアンを負かし
96年ダービーではまだ3戦目のフサイチコンコルドダンスインザダークを負かして、
ダービージョッキーとなった。その後もシルクジャスティスマサラッキなど
GIでの活躍は云うまでもないであろう。
急な時代の変化についていけなくなった藤田は昨年は33勝、本年は314戦18勝と低迷。
存在感も薄くなり、もはや2000勝や重賞100勝などの区切りはどうでもよかったのではないか。
2006年の傷害事件など行き過ぎた行為もあったが、
JRAに対する非難は真摯に受け止められるものがあった。
もし、藤田に反骨心というエネルギーが残っているのなら
地方からJRAに移籍したアンカツや岩田とは逆に
故郷のホッカイドウ競馬あたりに移籍して地方からJRAに殴り込みをかけて欲しかったが、
アンカツのように、もはや社台の牙城を崩せないことを悟ってしまったかもしれない。
やはりスターマンやムッシュシェクルタケノベルベットなどで
大物喰いして穴を開けている頃の藤田が好きだった。
しかし、去りし日とともに本人のモチベーションがなくなってしまったのは
折れた心のように、もはやどうにもならなかったのであろう。さようなら藤田伸二
最後にアントニオ猪木の名言で締めくくる。
「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いてゆく」


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