学食でもっていた代々木ゼミナールが……

いよいよ明日は東京にある大量の荷物を郡上へ運ぶ日。
明後日から出かけてしまうので先行して8月締めの原稿を無事1本脱稿。
荷造りは引越し屋まかせで仕事に専念して
もう1本の初校戻しを進めていますが、本当に全部お任せしていいのかな?
いずれにせよ明日で東京の事務所を引き払うわけではありませんが
とりあえず1年半にわたるタコ部屋生活から解放されます。
詳細は後述するとして、数日前になりますが
こんなショッキングなニュースがありました。


代ゼミ27校中20校閉鎖へ、希望退職者募る】
 大手予備校の代々木ゼミナールは23日、全国27校の7割超に当たる20校を、
来春にも閉鎖する方針を明らかにした。少子化による受験生減少などが背景とみられる。
 代ゼミによると、閉鎖の対象は、仙台、大宮(埼玉県)、横浜、
京都、神戸、小倉(福岡県)、熊本など。
20日、講師らに理事長の方針が伝えられた。
今後、講師陣と交渉して残る7校に来春から出向させる予定。
職員には希望退職者を募るが、対象や人数は明らかにしていない。
 閉鎖する20校では来春以降の生徒募集をせず授業を打ち切り、
所属する高校1、2年の塾生にはグループの進学塾を勧めていく。
東京の本部校と造形学校(芸術系)、札幌、新潟、名古屋、大阪南、福岡の各校を残す。
代ゼミは1957年に創立。駿台予備学校河合塾と並び「3大予備校」といわれた。
学校法人高宮学園(東京都渋谷区)が運営し、全国17都道府県の大都市に校舎を展開している。
代ゼミの広報担当者は「少子化だけが原因ではなく、コンパクトな拠点を増やし、
生徒が通いやすくなることを目指す」と話した。生徒や保護者には、
9月以降に順次説明していくとしている(スポーツ報知 8月24日(日)7時4分配信)


すでに20日の時点で情報をキャッチしていたのだが、24日なってようやく報道された。
なぜショッキングかというと当社がマネージするタレントの高木浩明先生
代々木ゼミナールの人気看板講師だからである。
先生の将来はいったいどうなってしまうのか?
大体、予備校の講師などは普通、大学に受かればそれで縁も切れてしまうものだが、
先生は生徒たちに慕われ、生徒が社会人になってからも交遊を続け、
そういった生徒が増え続けても、分け隔てなく交友関係を大事にするすばらしい方である。
専門の中世文学でも論文はじめすぐれた業績を残し、
『知れば知るほど面白い人物歴史丸ごとガイド 義経新詳解事典』(学習研究社)、
源義経99の謎と真相』(二見書房)
など多数の著書もある。
先生は代ゼミも無茶なことをしてくれる」と天を仰いで痛哭していたが、当然であろう。
そもそも講師などは年契約で失業補償もなく、再就職先の面倒をみてくれるわけでもない。


記事にあるように代ゼミ河合塾駿台と並ぶ三大予備校のひとつである。
高木先生は80年代にこの代ゼミに通ってN先生と出会い、
その後、自分も代ゼミ講師となって、これまでたくさんの生徒を大学へ進学させてきた。
しかし、80年代当時のナゴ圏では河合塾のほうが圧倒的に知名度が高かったし、
駿台などは「どこにあるの?」といった感じであった。
ただ、代ゼミが最初、名古屋へ進出した際に授業料が河合塾より安かったため、
ドケチなナゴ圏人代ゼミに流れ始め、河合塾が慌てて値下げしたと聞いたことがある。
名古屋駅西口の太閤通口は当時、河合塾代ゼミ早稲田予備校の3つあったが、
代ゼミの屋上にある看板を新幹線の駅から見えなくするため、
河合塾は隣の平安閣とつるんで、屋上にさらに高い看板を掲げたといわれる。
高木先生は大変先進的な方で、高校1年から代ゼミに通い始め、
苦手な数学をあっさり捨てて早々に文系を選んだ。
2年まで理系をめざし、数II以上のわけわからん数学に挫折し
文系に転向したshugoroとは天と地の差があろう。
早々と代ゼミに通って現役合格を果たした高木先生に対し、
shugoroは2年の後半からようやく予備校に行き始め、結局は1年浪人する羽目になる。
当時よく云われていたのが「国公立の河合、私立の代ゼミである。
当然、ドケチなナゴ圏人は授業料の安い国公立に飛びつき、
また、琉球大などの遠方を含む国公立の入学者数を自慢する公立高校も多々あった。
受験生も圧倒的に多く、浪人生もたくさんいた。
現在でこそまともに就職すらできないご時世となり、ニートすら当たり前になっているが、
当時はこの浪人生はナゴ圏では「親のすねかじり」と陰口を叩かれプレッシャーもあった。
そして高木先生とは正反対に授業料の安い河合塾に通うことになる。
ナゴ圏に限って云えば河合塾はホームで代々木はアウェイである。
河合塾は千種、名駅、名古屋の3つの校舎を持っているのに対し、
代々木は名古屋校ひとつに過ぎなかった。
しかし、模擬試験会場では、辺境な大学まで行かされる河合塾の全統に対し、
代ゼミのほうは早稲田予備校を植民地にして模試会場に使っていた。
その早稲田予備校名古屋校はとっくにつぶれて跡形もない。
当時云われていたのは「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合塾である。
駿台は生徒が優秀で、代ゼミはバラエティ番組にも出演する有名講師を多数抱えていた。
反面、机の河合塾は大学にあるような長い机でなく
独立した机のため、自習をするには適していたということだ。
とくに自習室として解放される教室は、それはもう開門と同時に席取が熾烈であった。
河合塾には現在でも講師を続けている有名な牧野剛先生がいる。
この先生、当時は授業中にビールを飲んでテキストなどの解説は一切やらず
雑談だけで終らせてしまうということで有名になり、
生徒が差し入れた女性のパンティーをかぶってしまった逸話もある。
第一印象の噂だけではとんでもない講師と思っていたのだが、
実際に授業を受けると大変偉大な先生だったことを知らされたものである。
ということで残念ながら代ゼミでの授業は一度も受けたことがなかったのだが、
当時から代ゼミは時代の最先端を行っていた。
徒手帖にICカードを導入して出欠の管理を実施していたのに対し、
河合塾は手書きで紙に書き込んでいくという古典的なものである。
両者の授業を聴講したわけではないので、現在となっては比較できないが、
そして河合塾が絶対に代ゼミに勝てなかったもの――食堂である。
尾張名古屋は城でもつ」というなら
「代々木ゼミは学食でもつ」というほど
河合塾とは比べ物にならないほど、うどんが(゚Д゚)ウミャアアアアア〜だった!
さらに店内は禁煙(当たり前ですが)が徹底されており、衛生的で明るく洗練されていた。
ただし、河合塾よりかは高く、産業スパイになってしまうので二度ほどしか行けなかったが、
それでも他の食堂に比すれば安いため代ゼミや早稲田の学食は
サラリーマンの利用もあっていつも満席状態であった。
そして営業時間も短く、空いている時間を狙うこともできなかった。
反面、河合塾の地下はいつもタバコの煙で曇っており
灰皿代わりにしたジュースの紙コップで溢れていた。
当時はアルバイトも初期にしかできなかったので貧しかった。
大体は弁当持参か河合塾の安いラーメン200円を食すぐらいで、
今は亡きN君は塩分過多の調味料だらけの汁を「汁飲む? 50円で譲って」とねだり、
僕やめぞうゾットはお湯つきのマルちゃんのカップ麺150円を
50円ずつ出して3人で分けて食すほどで、元祖一杯のカップであった。
あの頃はグルメを追求するより、腹に入れば何でもいい状態であったが、
20年以上経て、食費は現在のほうが安くなっているのも驚きだ。
もうひとつ代ゼミで充実していたのは代々木ライブラリーの書店である。
参考書や問題集など専門の書店だったが文具も販売していた。
そのなかでも前田先生推奨というシャーペン200円は芯圧もできて大変使いやすく、
大学に入ったあともこのシャーペンを求めて買いに行ったほどである。
しかし、高木先生曰く、名駅校の学食も数十年前にとっくに閉店し
ライブラリーも小規模なものになってしまったという。
もう一度食してみたいと思っていただけに残念でならない。
サテライト通信をはじめ、常に時代の先端を行っていた代ゼミ
先生が講師となって数年後には経費の削減が始まり、
移動のためのグリーン席が指定席に変更され、生徒数も激減していたというが、
まさか先生が危惧するほど悲惨な状況を迎えるとは思っていなかった。
なんといっても「親身の指導」「日々是決戦」を揶揄って
「親身の取り立て」「日々是決算」
云わしめた天下の代ゼミである。
その天下の代ゼミ少子化という現状で全国模試を廃止するとは……。
事業縮小の方向へ向かったのかもしれないが
これまでの専任講師を含む職員への補償をどう扱うのか?
高木先生の今後を含め、そのあたり天下の代ゼミの動向が気がかりではある。


本日の木之前葵ちゃん
7Rハヌルソンムル4着(4番人気)


一鞍入魂でしたが馬券に絡むことはできませんでした。
それでも元気に騎乗し、無事に戻ってきてくれただけでも安堵です。
今週はもう騎乗がないようですが、エンジンがかかるのは来週以降になりましょう。


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