小野田寛郎さん逝く

shugoro2014-01-17

戦争が続いていると信じフィリピン・ルバング島に30年間任務を続けた
元陸軍少尉の小野田寛郎さんが16日午後4時29分、
肺炎のため都内の病院で死去したそうです。享年91。
小野田さんは終戦後29年を経た昭和49年(1974)3月に帰国。
それまでは戦争をずっと続けていた。云わば時代の犠牲者である。
ただこの当時はまだ小学生にあがる前だったので、この人の話題は知らず、
むしろ2年前の昭和47年(1972)1月24日にグァム島で発見された横井庄一さんのほうが
「恥ずかしながら生き長らえて、帰って参りました」のセリフで知られるように
深く浸透していたのは、横井さんが愛知県出身で
地元のメディアでたくさん報道されていたせいもあろう。
しかし、この2人の生き方はまったく違っていた。
横井さんは発見直後はみすぼらしい可愛そうな軍人の風貌で、
その後は現代日本の生活にすぐに溶け込み、参議院選挙にも立候補して落選。
その後は耐乏生活評論家と生き、平成8年(1997)に82歳で亡くなった。
一方、小野田さんのほうは冒頭写真(共同)のように背筋を伸ばして
敬礼し凛々しく帰国した姿が印象的だった。
しかし、帰国後の日本の生活にはなじめず次兄を頼ってブラジルへ移住し、牧場経営をしている。
だが、昭和55年(1980)に子が親を殺す金属バット殺人事件にショックを受け
日本で「小野田自然塾」を開講し、全国各地で子どもたちに対する自然教育の推進を行っている。
これを観てもルパング島で30年も継続したサバイバルな戦術が生きており、
決して無駄ではなかった人生に思える。
むろん横井さんとは立場や任務も違っていたから、どちらの生き方が正しかは判断できない。
一部では「軍国主義の権化」とレッテルを貼られ、
数年前に『実録・小野田少尉 遅すぎた帰還』でドラマ化されたとき
中村獅童が小野田氏を演じ、このイメージを踏襲したそうだが、このドラマは観ていない。
しかし、小野田氏は決して軍国主義の化身ではなく、
この戦争継続時に亡くなった戦友を弔うなど正義感・責任感が強く、
「精神力」では最強の人だったのではないだろうか。
文明に毒された自分ならジャングルで3日と生きられないのもたしか。
一度「小野田自然塾」の講義を聴いてみたかったし、お会いしたい人であった。
ご冥福をお祈りします。


本日の木之前葵ちゃん
1Rウイニングオン5着(5番人気)
2Rサンキウニシキ7着(8番人気)
5Rカミノフローレンス7着(7番人気)
6Rコーリンマレガー7着(7番人気)
8Rサムライニシキ5着(6番人気)
9Rフレンチサマー6着(6番人気)
11Rレッツダンス6着(9番人気)


本日は馬券に絡めず全滅となってしまいましたが、
騎乗馬の人気をみてもまぁ順当といったところで
二度目の重賞騎乗も9番人気ながら6着と頑張りました。
葵ちゃんの騎乗馬は人気がなくても複勝だけは売れるし、
時折、人気薄でイン強襲で穴を開けるので、馬券術は本当に難しいですね。
来週は笠松初日から騎乗があるので巻き返しに期待したいところです。
実は本日、オーナーのオータムさんに電話したら
電話口で葵ちゃんに替わってビックリ!
ぎゃああああ〜心臓が飛び出るところでした。
いや、ジャングルではなくともゴミ屋敷での缶詰生活では
髪も服装もボサボサで電話口だからその姿を見られず幸いだったといえます。
横井さんの「恥ずかしながら」ではなくとも
もうこのあほぼろぐで恥ずかしいこと書きまくっていますが(汗)


それではあほ丸出しのフィナーレといきましょう!
可愛いな〜アハハン、ぷりち〜だなアハハン
次の週までごきげんよう〜♪
ババンバ・バン・バン・バン
葵ちゃんの初重賞制覇は近いぞ!
NARは葵ちゃんに名古屋競馬を救った特別賞を授与しろ!
葵ちゃんの複勝比率を厚目にせんといかんかも!
今週はshugoroの予想が冴えず、大幅マイナスになってしまったけど、
来週も葵ちゃんの活躍を期待し、木之前葵馬券術】をお楽しみに〜!


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