東京で郡上を楽しむ「郡上おどりin青山」

いきなり届いてしまった住民税の納付書。
年金に引き続きの出費は本当に痛手である。
ちびちび支払うのは性に合わないので
4期分まとめて払ってしまおうと考えているが。
本日はイイダの日で飲料水を大量買いした以外は大した話題はないが、
本年度から行われる東京郡上人会交流会の申し込みをすませた。
一部の人には郡上ファンになってもらうべく営業活動をしたが、
それでももっと多くの人に郡上ファンになってもらうには、
やはり現地の郡上八幡を訪れてほしいと思っている。
ところで郡上八幡は東京とも縁が深いのをご存知だろうか。
港区の青山という地名は江戸時代の郡上(八幡)藩主である青山氏の
江戸屋敷があったことに由来しており、菩提寺は南青山の梅窓院である。
ちなみに現在は渋谷にある青山学院大学も前身が青山にあったことに由来している。
郡上藩は戦国時代の遠藤氏が初代藩主となったあと、
井上氏、金森氏と藩主が変わり、宝暦8年(1758)に青山幸道が
後宮津から郡上へ移封され、明治維新を迎えている。
戊辰戦争では藩論が割れて、郡上藩は新政府軍に与すると同時に
家老の子、朝比奈茂吉(17)の44名を脱藩させて凌霜隊として会津藩の救援に派遣している。
小藩の生き残り策として保険をかけたのだ。
NHK大河『八重の桜』では取り上げられないだろうが、
この凌霜隊に参加し、戦死した隊士の中に小出於莵次郎(44)がいる。
郡上にも小出氏がいたわけで、縁のある方なのかもしれない(んなことはないか)
近年になって名誉回復がされている凌霜隊だが、
生き残りの隊士たちは帰郷しても故郷の目は冷たく、
幽閉生活を強いられ、関西へ移住せざるを得なかったとか。


郡上と青山の関連を初めて知ったのは数年前、
郡上八幡で行きつけだった食事処『大八』の店員さんからであり、
本題の「郡上おどりin青山」が行われていることもそのときだが、
残念ながら毎年郡上八幡の徹夜踊りへ行くくせに、
この青山での郡上おどりはこれまで行く機会がなかった。
本年度で記念すべき20回目を迎えるという。
「郡上おどりin青山」は本年度は6月29日(土)・30日(日)の両日、
秩父宮ラグビー駐車場で行われ、同時に郡上市の観光物産展も催される。
東京郡上人会交流会はこの時間内の29日で先着100名の予約制だったので、
急ぎ申し込みをしておいたわけだ。交流会は予約が必要になるが、
「郡上おどりin青山」のほうは予約不要の参加自由なので、
郡上八幡の魅力を知る第一歩としてぜひ参加をオススメしたい。
というのも、やはり東京で行われている阿波踊りよさこい、ソーラン節などに比すれば、
まだまだ東京での知名度が低いからである。
もちろん本場の郡上踊りや白鳥おどりのほうが楽しいことは云うまでもないのだが。
ちなみに6月8日(土)には「郡上おどりin京都」も行われた。
こちらもまだ本年度で6回。まだまだ郡上のPRは足りないと感じている。


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