追悼リバーセキトバとフミノ史ロックアップ伝

shugoro2013-05-13

フミノイマージンの悲しい事故から2日経ちましたが、
まださすがにイマージンの追悼記事を書くことができません。
現在は正直心のやり場に困っている、ただそれだけです。
あとしばらくお待ちください。先に書き溜めていたタイトルの記事をUPします。


フミノ祭のフミノ史のためにちょっと遅くなったが、リボンさんの情報によると、
5月9日に土佐黒潮牧場でリバーセキトバが亡くなった。
公式ブログでは18時35分という。23歳。リボンさんは会員になって何度も会いに行ったそうだが、
僕も本年2月24日にリボンさんの案内で土佐黒潮牧場に連れてってもらい、
リバーセキトバに逢うことができ、冒頭のように写真におさめることもできた。
あのときはまだまだ元気な印象だったので、あれから3カ月も経たぬうちに
亡くなってしまうとは信じられなかった。でも老衰なので天寿を全うしたといえ、
幸せな余生を過ごしたことであろう。ご冥福をお祈り致します。
以前にも書いたがリバーセキトバは中央時代、小林淳一(通称:コバジュン)騎手の
お手馬で、派手な追い込みでファンの多い馬だった。
なんと云ったって赤兎馬であるから、三国志ファンなら注目したのではあるまいか。
成績は中央41戦5勝、地方では南関東・高知で103戦13勝、
2002年3月4日のラストランまで通算144戦18勝と息の長い活躍をした。
何と云っても第1回の98年黒船賞GIII)優勝が輝かしいし、
同年には重賞の珊瑚冠賞も勝っている。南関東時代は船橋川島正行親方厩舎に所属し、
主戦は2006年にレース中の事故で亡くなった
佐藤隆騎手であったことにも時代の流れを感じさせる。

そんなリバーセキトバの追悼とともにshugoroがフミノ軍団に出会うきっかけとなり、
リバーセキトバのライバルでまさに明暗を分けた
フミノロックアップ(牡/89年生)のことを書き綴っておこう。
フミノロックアップは、父ノーリュート、母ノーザンパワー、母の父ノーザンテーストで、
中央時代は美浦の山崎彰義厩舎に所属した。
馬主は菅野善文氏で、フミノイマージンはじめ4頭の重賞ウイナーをもつ谷二先生の馬ではない。
当時関西にも谷二氏所有のフミノオリオン(89年生・牡/35戦5勝)がいることは知っていたが、
まだ関西のレースをまともに買うことができなかった時代である。
むろん、関西のフミノと関東のフミノには血縁などの関係はまったくない。
最初に知ったのは93年7月11日の彦星賞。まだ競馬を始めたばかりの頃で、
めぞうに勧められて馬券を購入したのだが、1番人気にもかかわらず6着に敗れている。
新馬から7戦は芝を使われ、新潟3歳S(GIII)でも5着の実績があるのだが、
活躍をするのはダート路線に転向してから。主戦はのちにサニーブライアン
皐月賞・ダービーの2冠を制する大西直宏だが、
まだこの頃はアラブ大賞典しか重賞を勝っていない地味な騎手で、
この人気を裏切る行為に何度も激怒したものだ。
彦星賞のあと半年休養に入り、明け5歳(当時は6歳)で条件戦を勝ち、
3カ月の休養をはさんで連勝。鉄砲の利く馬であった。
さらに900万条件の鎌倉特別を勝ち、準オープンの阿武隈Sに駒を進めたが、
ここでは1番人気にもかかわらず、岡部騎乗のジョウテンウインの2着に敗れる。
このときも大西の騎乗を嘆いたものだ。
そしてリバーセキトバと唯一対戦した94年7月30日の北陸Sを迎える。
フミノロックアップが1番人気、1歳下のリバーセキトバは8番人気であった。
このレースはいつものようにフミノロックアップが単騎で逃げ、
直線でも脚色が衰えることがなく2馬身差の圧勝であったが、
直線で猛然と追い込んだリバーセキトバの末脚も際立った。
逃げるフミノロックアップに対し、追い込むリバーセキトバ。
そのリバーセキトバはハナ差の3着だった。
こうしてフミノロックアップの単複を的中させたが、
肝心のロックアップは優勝口取りにも出られず、馬運車で運ばれたと放送が入った。
優勝した代償として脚を故障してしまったのだ。
故障から半年後、明け7歳になってオープンのガーネットSに出走した
ロックアップ(写真)だったが8着敗退。
やはりあの故障が原因だったのか、精鋭を欠いて
あの軽快なハナに立つ逃げができなくなってしまったのだ。
銀嶺S、フェブラリーS(当時はGII)に出走するも12着、13着と惨敗。
再び芝に戻って3走したが、結果は出せず、
95年5月の新潟大賞典GIII)でシンガリ負けのあと、
大井の栗田裕厩舎に移籍した。南関東でも3戦して結果が出なかったが、
4戦目のアメジスト賞を勝って復活。さらに新潟の吉川豊光厩舎に移籍し、
半年明けの新潟緒戦となった五頭蓮峰では、
中央で47戦4勝の実績を残したアロートゥスズカをおさえて優勝した。
だが、2戦目となった青雲特別で1番人気に支持されながらも
レース中に故障し競走中止になっている。
このことは当時『競馬ブック』を読んで知った情報であるが、
競走能力喪失とあるだけで、その後はどうなったか分からない。
「まともならもっと上がめざせただけに残念だった」と書かれていた。
抹消日はラストランの96年9月16日から1年半を経た98年4月1日となっているが、
これは多分、規定に基づいた自動的な抹消かと思われる。
成績は中央21戦6勝、地方6戦2勝で通算27戦8勝。
リバーセキトバと同じダートを主戦にし、地方に流れて勝ちながらも、
まさに明暗を分けた馬だった。
この美浦のフミノ家は、母ノーザンパワーの仔出しがよく、
兄弟にはバロン(88年生・牡/1戦0勝)、ルビー(90年生/6戦0勝)、
ボンバー(91年生/0戦0勝)、ネプチューン(93年生・牡/35戦3勝)、
リボースター(94年生/6戦0勝)、ダビッドソン(97年生・牡/0戦0勝)、
ロードスター(98年生全弟・牡/6戦0勝)、ブルースカイ(99年生・牡/37戦3勝)、
ベテルギウス(00年生・牡/3戦0勝)と中央に次々と送り出している(成績はいずれも中央時)
だが、2007年のブルースカイ引退以降、菅野善文氏のフミノ冠号馬は見かけなくなった。


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