本日も仕事というよりは伝票作成などの雑用に追われた1日でした。
銀行に寄ったのと、ランチに『瀧本軒』へ出た以外は、
代わり映えしない日常で、大したニュースもないので、
昨日同様に4月20日の帰省取材の追記をUPします。
藤倉峡へ向かう途中では高山本線の下油井までの各駅も撮影しましたが、
無人駅が増え、かつての木造駅舎も消滅しかかっています。
高校の時に部活で通っていたのが、飛騨川の川辺ダムで、
このダムのある川辺町は七宗や白川、八百津に比すると、
とくに目立った観光資源もなく、半農半商の地味な町でした。
今回の取材ではこの町を通りかかり、中川辺駅などを撮影したのですが、
ちょうどお昼時にもかかわらず、国道41号沿いには大した店がありません。
飲食店の看板を見つけて国道からそれ、町の中に入っていったのですが、
どうやら閉店していたような様子でした。
で、今回はこの閉店していた店の道路脇に栃井神社があったので撮影。
栃井神社にはかつて木の根橋という珍しい橋が架かっていました。
杉の大木の根幹が熊田川を横断し橋になったもので、
江戸時代からあった天然橋で歌にも詠まれ、県の天然記念物に指定されていました。
そしてちょうどそこは部活の際にいつも自転車で通っていた道で、
木の根橋自体は何度も通り過ぎて確認しているのですが、
まさかこれが県指定の天然記念物と知ったのは、ずっとあとになってからです。
しかし、今回はビックリ! 案内板には平成10年(1998)までとなっており、
肝心の熊田川が暗渠化されて道路が拡張され、木の根橋も消滅していたのです!
たしかに道が狭かったかもしれませんが、
いったいこんな過疎地にどれだけ車の通行量があるというのでしょうか?
しかも決して車が通れないほど狭い道ではなかったはずで、
それは写真にある車をみても明らかです。
こんな行政の愚策のために県の天然記念物を消滅させるとは!
案内板には右のように過去の写真が掲せられていましたが、
たしかに写真のような橋だったことだけは記憶しています。
普通ならばせめて移築して橋自体を保存させるなりすればよいのに、
それすらなく、なんと愚かなことをするのでしょうか?
歌碑だけが残り、町の文化財に指定されていますが、
こういう文化財を大事にせず、ファスト風土化を進める過疎地には何の魅力もありません。
だってそうでしょ! 同じ画一化された町なら東京や都会のほうがずっと便利だもの。
過疎地はより車社会になり、公共交通はより廃れて交通事故も増え、
川はコンクリで固められて魚さえ住めなくなっています。
橋が消滅して早14年、いったいそれでどれだけの恩恵があったというのでしょうか?
我が故郷の小牧市も同じようなことをしており、
無理な区画整理でかえって過疎化が進んでいます。