『江』第39回「運命の対決」

月曜はマイルCS南部杯があるため、
9日にタイムリーで観た『江』は、先行して11日にUPします。
それではまずは先週のおさらいからですが、前回の視聴率は15.9%で、
やはり0.5%減と悲惨な数字になっています。
芦田愛菜ちゃんの再登場を期待した読者にとっては、
露出が少なく期待はずれと感じられたことですし、
さらに運悪く今週も三連休では、さらなる低下が危惧されます。
そういえばフジテレビでは『マルモ』のスペシャルドラマが放映されましたね。
時間がずれたのは救いですが、今回の『江』では芦田愛菜ちゃんが、
すでに登場せず、結局2回のみで終わってしまいました。


本題ですが、今回はやはり前半に回数を取りすぎたせいもあって、
ものすごい時代の早回しとなってしまいましたね。
ダイジェストで歴史の流れを追ってみましょう。


1605 秀忠二代将軍に。
1606 江と秀忠の次男・国松誕生。
1607 江と秀忠の五女・和子誕生。江戸城完成。
1608 秀頼の子・国松誕生。母は側室。
1609 初の夫・京極高次死去。
1611 秀頼が家康と二条城で会見。


ざっと書いてみてもこの脚本家のドラマの時代配分の間違いと、
後半の怒涛の追い込みで時代を一気に6年も進めてしまった乱暴ぶりがうかがえます。
秀忠将軍就任に伴う、一度目の秀頼上洛拒否から二条城の会見までですか。
この間に江は国松を産み、母乳で育てていますが、これはウソ。
国松にもきちんと乳母(朝倉局)がついています。
江が国松を可愛がり、竹千代を養育する福(春日局)との対立も描かれていますが、
これも『大奥』に追従する形で、さらにドラマが乱暴な早回しになっているため、
時系列までも無茶苦茶になっています。
秀忠の子・国松誕生と同時に淀殿は秀頼に側室をあてがいますが、
秀頼の子・国松(なぜか同じ名)が生まれるのは1608年のこと。
この諍いにすでに千姫は蚊帳の外におかれてしまっています。
さらに初の夫・高次が亡くなるのが1609年ですが、
いきなり2年飛んで初が江に会いに来て、
姉妹の仲をとりもつために大坂に入ります。
そして慶長16年(1611)の二条城の会見に至るわけですが、
ここでは秀頼自ら率先して家康に会いに行き、
「徳川とともに泰平の世をつくる」といって臣従を拒みます。
一方の秀忠は伏見や大坂城二の丸に入って秀頼を補佐すると云い出したり、
秀頼が関白となり、秀忠が将軍として支えたりするなんて云っていますが、
のちの大坂の陣では、この矛盾をどう修正するのでしょうかね。
あと1611年といえば、そう秀忠の隠し子・幸松(保科正之)も誕生するのですが。
こちらの扱いはどうしてくれるのでしょうか?
せっかく長丸を登場させておいて、こちらはスルーしないことを願いたいですが。


史跡紀行では初ゆかりの地として福井県小浜市の後瀬山城跡、小浜城跡、常高寺などが、
紹介されました。オバマ米大統領でも話題になった小浜は、
2010年4月4日に江の取材で訪れましたが、このときは小浜城跡しか撮影できませんでした。
常高寺は上田氏が訪れています。今回は小浜城跡と最寄のJR小浜駅のスタンプ、
上田氏撮影の常高寺をUPします。小浜駅のスタンプは『江』放映に伴い、
三姉妹のキャラが描かれたスタンプも設置されていますが、
こちらは行けず押せずじまいになっています。

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