西岡代表の死を悼む(12月20日)

お笑いライブ「笑えば」を毎月主催し、数々の若手芸人を育ててきた、
ワンフォールウェスト代表の西岡氏が10日に亡くなりました。享年54という若さです。
この喪中の知らせを20日にもらい、初めて知ったのですが、
あのダンディーなヒゲの風貌が脳裏に焼きついて、現在でも信じられない気持ちで一杯です。
結局、一番最後に会ったのは2007年4月30日に中野で行われた「笑えば」のライブでした。
このときは司会のM田さんに「最後になってしまうかもしれない」と云われ、
慌てて自転車で駆けつけたものですが、その後、巣鴨に舞台を移して、
存続が決まったとのことで、すっかり安心してしまい、
その後、なしのつぶてになっておりました。


西岡代表には10年ほど前、僕が運営管理していた『はなきん寄席』で大変お世話になり、
その西岡氏を紹介してくれたのが、司会のM田さんでした。
毎週開催のためちょうど芸人が不足し、寄席の運営が行き詰っていた頃で、
こちらの所属芸人を派遣してくれたことで、多大に救われました。
当時の事務所は原宿の竹下通りという超メジャーな場所にあり、
渋谷のシアターDで1日3回に分けたライブを月1回主催していました。
この事務所から何人の若手芸人が巣立ったことでしょうか。
消長の激しい世界ですから、芸人も入れ替わりが激しく、
舞台も渋谷から離れることになってしまったのですが、
M田さんはずっとこのライブの司会を続けていました。
この消長の激しい世界で10年以上も毎月主催するということは、
並大抵の持続力がないとできるものではありません。
僕も寄席運営時は何度も足を運んで、ビラを配ったり、
新聞記事のため西岡氏に取材したりしたこともあったのですが、
このときなかなかおもしろい話を聞きました。
きっかけは、最初塾の講師だったけど、生徒を笑わすのが得意でお笑いに転身してしまったとかで、
その後、ピタゴラスというユニットを結成。解散後は若手芸人の育成に尽力していたのです。


しかし、寄席が終了してからはすっかり疎遠になり、
毎月、案内状をもらっていたのに、行けずじまいになっていたのです。
当時のようにお役所に出張する半サラリーの身分でなくなり、
時間がまったくとれなくなってしまったことにも要因がありです。
現在でもいろいろな芸人さんから案内をもらうのですが、行けないことが多く、
そのうち案内状も間引かれてしまうのではと不安になることもあります。
でも、少なくともお世話になった方々にはそれなりの恩で返したいと思う心情に変わりありません。
なのに、恩を返し切る間もなく逝ってしまった西岡さん。ご冥福をお祈りいたします。


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