小牧駅増客運動3

小牧の市内散策3日目です。本日は西林寺の西にある西町稲荷堂です。
現在は小牧4丁目になっていますが、昔は西町と呼ばれたところでした。
脇にバイパスができ、参道もJAの敷地になってしまい、
現在はコンクリの塀にさえぎられ、建物外観を撮るのも大変です。
建物が尾張徳川家の霊廟で、建築・壁画なども時代を感じさせ、
市の指定文化財になっています。ただ、豊川稲荷閣奉賛会の所有なので
ふだんは外観を眺めることができても、内に入ることはできません。
ところがラッキーなことに、ウチの叔父が不動産屋アイワホームを営んでおり、
この建物を委託管理していたので、2年前に内部をみせてもらい撮影もできました。
公開するチャンスもないのでここで内部の写真と以下由来を記しておきます。
   
(写真左から彫刻、ご本尊、壁画、お稲荷様)

稲荷堂 西町・小牧市農協の北側・市指定文化財
西林寺の境内西南隅にある稲荷堂は、尾張徳川家菩提寺・建中寺(名古屋市西区)の霊廟を移築したものである。霊廟は歴代藩主またはそれに準ずる人の位牌を安置した御霊屋である。
拝殿と幣殿(へいでん)
 天明7年(1787)の作りで200年以上はたっているが、権現造りで材料はすべて欅(けやき)、極彩色で、日光東照宮の華麗さを感じさせ、漆(うるし)ぬりで、柱など布張りで数十度に及ぶ漆を重ね、江戸時代の霊廟建築の本格的手法をとり、尾北唯一の美建築である。明治8年(1875)11月に当時大八車80台で運び、慎重な上に慎重を期し、建中寺にあったままの姿で移築した。明治34年豊川稲荷を厳修したため、正面の「二つ折り桟唐戸」に手を加えたり、あちこちに付属建築を併置したが、内部はほとんど当初の姿を今日に伝えている。
 拝殿部分(経殿)は、正面三間、側面三間で屋根は入母屋造りで、桟瓦甍(さんがわら)、廻縁付きで脇障子があり、正面に一間の向排が付いている。
 内部は格天井(ごうてんじょう)、組物は極彩色、建具は格子に板をはり、水平軸を軸として釣り上げる蔀戸(しとみど)である。
 幣殿部分(合間・あいのま)は、現在は稲荷が祀ってあり、本殿のようになっているが正面一間、側面三間で屋根は両下造で桟瓦甍である。
 内部の両側面上部には、極彩色の文様が描かれている。
建中寺の霊廟
 建中寺は尾張二代藩主徳川光友が、父義直(源敬公)を弔うために慶安3年(1650)に創建した浄土宗の寺で、徳川家代々の菩提寺墓所である。
 しかし、初代の墓は生前の遺命により景勝の地、定光寺儒教の式にならった廟に葬られた。
 建中寺のほうは、元禄11年(1698)光友の正室霊仙院(れいぜいいん)からはじまり、天明5年(1785)正月の大火まで次々に四宇の霊屋(たまや)が建てられていった。
 焼失後2年にして藩命により再建をし、明治5年(1872)に三つの霊屋を一つに合祀し三棟を廃毀することになった。
 廃毀される三棟の霊屋は、徳川家ゆかりの浄土宗の寺へ移された。その一つが稲荷堂で、他は名古屋市中区の貞祖院、同市南区の蒼竜寺にある。」(胡馬トピックス第16号・1999年9月発行)
とまあ、ウチの叔父が作った資料を転載してみました。
小牧ふるさと塾・胡馬の会というのがあり、そのときの見学会で配布したようです。
「江戸時代の建築物があるのに、昭和にできた小牧城(小牧歴史館)ばかりに注目して、こちらには興味を示さないんですね」
とは叔父の弁。たしかに観光PR下手な小牧市らしい。
以前は管理人が住んでいたが祭祀は年に数回しかなく、
ほとんど無人になっているので委託とはいえ建物管理も大変だろう。
「希望者には見学させているがほとんどない」とのこと。
まあ、興味をもってもらうのはなかなか難しいことかもしれないが、
それならやはり観光ボランティアの見学コースにすべきだろう。
他に古い民家で下之町にある(現・小牧4-827)岸田家は、
稲置街道旧小牧宿の脇本陣をつとめた商家でこちらも市指定文化財になっている。
個人宅であるがWEBもあり、一般公開もしているようだが、
まだ見学する機会がないのが残念。帰省しても取材で結構せわしいからだ。
ということでまた明日。


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